2月10日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

2月10日 平塚らいてう 今日は?

2月10日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

平塚らいてうが目覚めたきっかけは不倫騒動掲載!?

1886年2月10日~1971年5月24日

職業:思想家・評論家・作家・フェミニスト
出身:日本(東京都)

 

朝ドラ『あさが来た』や『トト姉ちゃん』で、共通して登場した人物は、平塚らいてう(らいちょう)です。

大正から昭和にかけて、婦人参政権や女性の権利を訴え、活動を行い、日本女性に影響を与えました。

平塚らいてう、本名「平塚はる」は幼少期のびのびと育てられました。官僚であった父親が、欧米視察に渡航した経験からだったようですが、小学校を入学したくらいのときには、国粋主義な教育方針に変わり、父親の意向で決められた学校に入学し、苦痛なときを過ごします。言われたことを素直に守るようなタイプでもなく、授業はサボったり、グループに入ったりと楽しんでいたようです。

 

17歳のときに、「女子を人として、婦人として、国民として教育する」という教育方針に惹かれ、父親を説得し、日本女子大学に入学します。(NHKの『あさが来た』の主人公の白岡あさのモデルになった広岡浅子が発起人となって創設された大学です)

希望をもって入学しますが、入学した翌年に日露戦争が勃発したため、国家主義の教育の風潮が強くなり、大学生活にがっかりします。その頃から、宗教書や哲学書を読むようになります。

日本女子大を卒業後、複数の大学で聴講し、英語学校に通った際に、ゲーテの詩に触れ、文学に目覚めます。学校で講師をしていた男性が主催していた文学講座に参加し、処女小説を書き上げます。

文学講座で講師をしていた男性が、はる の才能を評価し、手紙を送ったことがきっかけで、2人は恋仲になります。小説みたいに2人で雪山に行き、迷子になって救助され、関係が明るみになります。

男性が既婚者であったために、メディアは、はるを責めたて、顔写真入り、あることないことが掲載されます。新聞が発行されたあと、一般人であったはる は一躍有名人になりました。この騒動で、一時、日本女子大学の卒業生から除籍されたり、外に出るのが大変になったりしたようです。

 

騒動がきっかけになり、性差別や男尊女卑の社会について疑問を持ち、女性の権利を訴えるようになりました。

1908年のことなので、100年以上前のことですが、100年経っても同じようなことに、周りが異常に騒いでいることは変わらず…なんか嫌やですね。

ですが、新聞の掲載がなかったら、女性の権利を主張することもなかったかと思うので、経験、失敗したことには意味があったのかなと思われます。

 

1911年 25歳 英語塾の先生からのススメで、女性のための女性による文芸誌『青鞜 (せいとう)』を出版します。資金は母親がはる の結婚資金として貯めていたものを使ったと言われています。

はる は雑誌『青鞜』の創刊に際して、辞を書き「元始女性は太陽であった」という有名な文言が誕生し、このときから、「平塚らいてう」というペンネームを使うようになりました。『青鞜』の表紙はのちに高村光太郎の妻になった高村智恵子、与謝野晶子の詩などが寄せられたようです。

書くときは「らいてう」ですが、読むときは「らいちょう」です。「てふてふ」→「てうてう」→「ちょうちょう」という発音の移り変わりがあって、昔は蝶々のことを「てふてふ」と言っていたようです。その名残です。

 

1912年 26歳 5歳年下の画家志望の青年と出会い、夫婦別姓の事実婚をし、2人の子ども(男女)に恵まれます。らいてうは従来の結婚制度に疑問をもっていました。2人の子どもは私生児として平塚家の戸籍に入ります。

現在は夫婦別姓とか、事実婚などは珍しくないですが、大正時代、昭和初期には滅多にないことで、最先端な人です。

 

2月10日 平塚らいてう

 

きっかけ:

気付いたきっかけは何でしたか?