2月12日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

2月12日 レイ・カーツワイル 今日は?

2月12日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

チャールズ・ダーウィンの進化論

1809年2月12日~1882年4月19日 職業:自然科学者
出身:イギリス

『種の起源』の著者です。ダーウィンの名言にこんなものがあります。

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.

生き残る種は、最も強いものでも、最も知的なものでもない。最もよく変化に適応したものである。

 

ダーウィンは適応能力が高かったのか?と想像するかもしれませんが、どちらかというと適応能力は低かったと言えるようなエピソードも多いです。

 

父親は医師、母親は陶芸家のウェジウッド家の出身、6人兄弟の5番目の子どもとして生を受けます。ダーウィンが8歳のときに、母親が亡くなり、姉たちが母親代わりになります。妻の死によって父親は子どもたちに厳しく接することが多くなります。

ダーウィンは幼少の頃から、博物学に興味があり、植物や貝殻、鉱物などの収集や庭いじりが好きでした。成績は揮わず、息子の将来を心配した父親は通っていた学校を辞めさせ、自分の仕事を手伝わせたあと、医学校に入れます。しかし医学に全く興味もなく、血を見るのが苦手だったダーウィンは、学校を去ることを決断します。

その決断に呆れた父親は、今度は聖職者にするために、ケンブリッジ大学で神学を学ばせます。牧師であれば、空いている時間は好きなことが出来ると考えたダーウィンは、学問に励み上位の成績で卒業します。

 

ここで聖職者になっていたら、ダーウィンの人生は全く変わっていたでしょうね。

 

航海と現地調査

ケンブリッジ大学を卒業後、恩師の紹介で、イギリス海軍の測量船に乗り、世界各地を巡ることを決断します。

この決断に父親は聖職者には不必要なキャリアな上に、事故や遭難に巻き込まれてしまうのではと心配し反対します。旅に出ても、最後は聖職者になるだろうと思っているところが面白いですね。

1831年 22歳 航海に出ます。

測量船には専任の植物学者はいたため、船長の話し相手の客人のような扱いだったようですが、リオデジャネイロで植物学者が下船したため、非公式ではありますが後任役を務めなければならず、海岸の測量、内陸の長期調査で1年ほど、南米に滞在しています。

ガラパゴス諸島のサン・クリストバル島に到着し、1ヶ月ほど滞在します。当時、サン・クリストバル島はエクアドルの囚人の流刑地だったので、ダーウィンは地質的には古いものはないのでないかと考え、調査を短期間に終わらせたのではないかと思われます。

ダーウィンはガラパゴス諸島のみに生息する鳥(スズメの一種)の多様性から進化論のヒントを得たと言われていますが、そのときは差異には気付いても、それぞれが全く別の種であることには分からなかったので、重要視はしていなかったようです。

ニュージーランド、オーストラリア、インド洋、マダガスカル、セントヘレナ島などに立ち寄り、当初3年予定の調査期間は、ほぼ5年かかりました。

航海中、船酔いに悩まされ、5年の調査期間中も慣れることはなかったようです。

 

帰国後

ダーウィンの調査は科学界ではすでに知られており、有名人になっていました。

出発前は反対していた父親は、ダーウィンが科学者になることを知り、投資できるよう準備し、ダーウィンが研究を続けられるようにバックアップしました。その後は、研究や執筆活動で非常に忙しい生活をしていたため、体調が悪く、ほとんど自宅にこもり、治療を受けていたと言われています。

生涯、体調が悪かったようですが、姉が結婚をすると、自分も結婚を意識し始め、30歳のときに結婚をして子どもが10人いました。そのうちの2人は幼くして亡くなっています。(本当に体調が悪かったのか…?)

 

ダーウィン家とウェッジウッド家 

ダーウィンの母方の祖父は、陶芸家のジョサイア・ウェッジウッドであり、ダーウィン家とウェッジウッド家の関わりは親戚以上で、ダーウィンもウェッジウッド家の娘のエマ(いとこ)と結婚し、ダーウィンの姉はエマの兄と結婚しています。

いとこは近親婚にはあたらないのではないかと思いますが、2人の子どもが病死したときには、近親婚が原因なのではないかと不安になったようです。他の8人の子どもは成人し、銀行家、数学者、医者、天文学者、実業家から市長、政治家になりました。