2月14日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

2月14日 中川一政 今日は?

2月14日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

岡倉天心やフェノロサ、ボストンの富豪たちの功績

岡倉天心はどんな人?

1863年2月14日~1913年9月2日 職業:思想家・文人
出身:日本(神奈川県)

代表作:

  • 『茶の本』
  • 『東洋の理想』
  • 『日本美術史』

 

本名、岡倉覚三の生まれたときの名前は「角蔵」、父親が貿易商で商店があった角倉で生まれたことに由来します。外国人と接することが多かったため、幼少期から英語に親しみ、横浜の居留地で宣教師が開いた英語塾で英語を学びます。

9歳のときに母親が妹を出産後に死去し、父親が再婚するために養子にだされますが、里親とあわず、母親の葬儀が行われた寺に預けられ、住職から漢籍を学びます。

廃藩置県のために、事業を廃業し、父親が東京で旅館経営を始めたので、一家で東京に転居し、現在の東京大学の前々身の学校に入学します。卒業後は文部省に就職し、美術品に関する業務に携わります。

 

日本美術の評価

来日していたお雇外国人アーネスト・フェノロサ(1853年2月18日~1908年9月21日)は、政治学や哲学が専門でしたが、来日する前はボストンの美術学校で、デッサンを学んでいた経験から日本美術に関心がありました。そこで、岡倉天心がフェノロサの通訳兼助手になり、全国の寺社に調査を行い美術品を見たことがきっかけになり、伝統美術の保護活動にまい進します。

 

欧米各国の美術教育の事情を知るためにフェノロサとともに視察、帰国後は、現在の東京芸術大学の前身になる学校の開校のための準備に奔走し、27歳という若さで校長に就任し、若手の画家の育成に努めました。

しかし伝統的な絵画技法にこだわる画家とは考え方が異なり、朦朧体などの画法改革を勧めようとしていた岡倉天心は反発にあい、校長の職を退きます。

横山大観など賛同してくれた画家たちと、日本美術院を谷中に発足させます。設立するための費用は、アメリカ人の富豪、ウィリアム・スタージス・ビゲローなどから援助を受けます。そこで若手の日本画家は、従来の日本画に西洋画を取り入れた新しい表現に取り組みました。

 

ピゲローの紹介でボストン美術館に日本の美術品を集めるための仕事で、行き来しており、日本にいる間は茨城県五浦に住まいを移し、若手の画家たちの活動の場としていました。

また茶の湯を紹介する「The book of Tea」を英文で出版し、日本の文化や美術を欧米に紹介する活動を行いました。

 

日本に魅了されてしまった人たち

話は変わりますが、フェノロサは日本美術を海外に紹介するために、生涯に4度ほど来日しています。最後はロンドンで調査中に亡くなりますが、生前、仏教に帰依しており、フェノロサの遺志で、遺骨が分骨され滋賀県大津市の寺に葬られています。

フェノロサをはじめ、この時代に日本にすごくはまってしまった人は他にも複数います。

ボストン美術館所蔵の浮世絵展というのはこれまでにも開催されているので、ご覧になった方も多いと思います。ボストン美術館には浮世絵の膨大なコレクションがあります。理由は、5万点以上の浮世絵をコレクションしていたウィリアム・スタージス・ビゲローが寄贈したからです。

もう1人?2人はスポルディング兄弟です。兄弟はボストンの富豪で帝国ホテルの建築で来日していたフランク・ロイド・ライトの協力を得て6000枚以上の浮世絵を集めており、それがボストン美術館に寄贈されました。

この「スポルティングコレクション」は保存状態が良いため、新しい方法で公開することを決め、ボストン美術館とNHKは共同でコレクションをデジタル化しました。日本では15年という期間限定で二次使用権を獲得しており、近年、テレビや展覧会などで、浮世絵が動いている動画を見かけるのはこのためです。

アメリカの富豪のコレクターは、コレクションを国外にださないよう申し送りしているので、日本人なのに観たこともない日本美術が、海外の美術館に展示されていることも多いです。

 

見つかってよかったね…!

開国して間もない日本に来日した彼らは、日本の文化に興味を示し感銘を受け、集めたものに関して、どういったものかちゃんと理解していました。寄贈する際に、非常に繊細なので扱いに注意すること、一切の公開展示を禁止しています。

退色することもなくムシやカビの害にも逃れ、奇跡的に状態が良く保管されていました。コレクションは門外不出になっており、その存在が知られていなかった、忘れられていた?100年経つと勤めている人も変わるので、引き継ぎがされていなかった?およそ1世紀後に発見されたときは、美術館もびっくり、どよめきがあったようです。

日本にそのままあったら、戦争で焼失しているか、湿気で退色していたかもしれません。自国の文化に疎いのは、きっとどの国も同じだと思いますが、疎かったために、浮世絵をはじめ日本美術が海外に渡ったことは、結果的に悪いことばかりではないように思います。

 

きっかけ:

はまっているものは何ですか?