2月16日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

2月16日 中原淳一 誕生日

2月16日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

遺伝や血筋は才能と関係がある?狩野永徳

職業が選べるようになった明治時代以降も、血縁関係や流派があるのは、能や歌舞伎、茶道や華道、落語、陶芸、工芸など日本の伝統芸に見受けられますが、絵画はないですね。

狩野派は室町時代から明治時代まで400年続く流派で、沢山の絵師を輩出してきました。全員が血縁関係にあったわけではなく、弟子も沢山いるので、狩野派を名乗っている絵師は多いですが、そのなかでも狩野永徳は直系で代表する絵師です。

 

狩野永徳はどんな人?

1543年2月16日~1590年10月12日 職業:絵師
出身:京都

永徳は、大祖父の代から絵師という家に生まれ、幼少期から絵の才能があったので、織田信長、豊臣秀吉、当時の天下人のお城の障壁画を制作しています。落城しているため、現存する作品が少ないです。

 

代表作:

・『洛中洛外図屏風 らくちゅうらくがいずびょうぶ 』 米沢市上杉博物館所蔵の国宝

→戦国時代から江戸時代にかけて『洛中洛外図屏風』というタイトで保存状態がいいものは30~40点あります。狩野永徳が描いたと言われているものは、呼び名を「上杉本 うえすぎほん or うえすぎぼん」と言います。クライアントが織田信長で、上杉謙信へのギフトです。『洛中洛外図屏風』で絵師が分かっている作品は数点です。

現代の画家、山口晃さんは「中洛外図屏風」を着想に『六本木昼図』などを描かれているので、それも後世には『洛中洛外図屏風』に分類されるのかな…?

 

・『檜図屏風 ひのきずびょうぶ 』 東京国立博物館所蔵の国宝

・『聚光院障壁画 じゅこういんしょうへきが 京都国立博物館所蔵の国宝

もともとは、大徳寺聚光院にあり、父親の狩野松栄と永徳のコラボ作品です。

・『唐獅子図屏風 からじしずびょうぶ 宮内庁所蔵

右隻が、狩野永徳(1543~90)で桃山時代に描かれ、左隻は江戸時代の狩野派の絵師、狩野常信(1636~1713によって描かれています。

 

狩野永徳が活躍した時代に一代で狩野派に挑んだ画家が長谷川等伯です。永徳とは4つ違い(等伯が上)です。

 

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狩野永徳も真っ青!? 孤高の絵師 長谷川等伯の存在

1539年?月?日~1610年3月19日 職業:絵師
出身:日本(石川県)

等伯は能登で生まれ、幼少の頃に染物屋に養子にだされ、養父から絵を習い、地元で絵師として活躍していました。しかし33歳のときに養父母が亡くなり、家族を連れ、京都に転居しました。等伯が活躍していた石川県は、小京都と呼ばれていたため、ここでも十分に仕事は出来たと思われます。

この時代は京都周辺が政治の中心なので、仕事のしやすさはあると思いますが、競争率が高いところにあえて挑んだ理由は何でしょうね…?

 

京都にでてきてから、当時絶大なる流派だった、狩野派の門で学び、狩野松栄(永徳の父)か永徳に指導を受けていたと考えられています。永徳も等伯も顔見知りで、お互いかなり意識していたようです。狩野派の様式を学びつつも、そこで得られるものがもうないと思った等伯は、すぐに辞めてしまいます。

 

堺出身の千利休や僧侶と交流し、水墨画に触れ、独自の画風を確立していきます。永徳が急死し(一説によると過労)等伯に有利かと思いきや、千利休が切腹し、跡継ぎに先立たれ、等伯の隆盛は息子の代で終わっています。

狩野派は弟子をとり、分業制で沢山の仕事をこなせたのに対し、等伯の4人の息子は絵師でしたが、弟子が沢山いて長谷川派みたいなものはないです。

狩野永徳も長谷川等伯も400年以上前の人ですが、小説の題材で描かれており、下記の本が該当します。

  • 谷津矢車著 『洛中洛外画狂伝―狩野永徳』
  • 山本兼一著『花鳥の夢』
  • 安部龍太郎著 『等伯 上・下』

 

きっかけ:

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