2月20日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

2月20日 石川啄木 誕生日&何の日?

2月20日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

志賀直哉 山の手線にひかれて大怪我

1883年2月20日~1971年10月21日 職業:小説家
出身:日本(宮城県)

白樺派を代表する小説家です。

白樺派とは何?
同人誌『白樺』は、理想主義、個人主義、人道主義などを題材にした作品を好み、その作風に共感した人たちが集まった雑誌です。白樺派はそこに系統する作家です。

 

代表作:

  • 『城の崎にて』
  • 『暗夜行路』
  • 『和解』
  • 『小僧の神様』

 

石巻で銀行に勤務していた父親は、直哉が2歳のときに銀行をやめ、文部省会計局に就職が決まり、一家は東京に移住します。文部省は8年ほどで退職し、総武鉄道の創業を手伝い社長に就任、様々な会社の取締役として従事した実業家でした。

直哉には兄がいましたが、直哉が生まれてすぐに早世しており、志賀家の家系が絶えないよう祖父母によって溺愛され、過保護に育てられます。

12歳のときに実母が亡くなり、父親の再婚については、小説『母の死と新しい母』に描かれているようです。直哉には年が少し離れた腹違いの弟1人、妹5人がいました。

 

中学校~大学

学習院中学校に入学し、友達と一緒に同人誌を発表します。このときは、小説家志望というわけではなく、軍人や実業家になりたかったようです。

直哉がはまっていたのは自転車で、自力で改造してしまうほど、こだわりがあり、どこに行くのにも自転車だったようです。

のめり込むものがある一方で、学校での直哉は真面目な学生とは言い難く、2回落第しています。その結果、2歳年下の武者小路実篤と同級生になり、最初は仲が悪かったようですが、生涯の親友になります。

この時期に、歌舞伎や浄瑠璃に夢中になり、歌舞伎座や明治座、芝居小屋によく行っていたようです。特に女義太夫に熱中し、それがきっかけで小説家志望になったと言われています。大学在学中に処女作を書いています。

大学卒業後、今度は現在の東京大学英文科に入学し、夏目漱石の講義に興味を抱くも授業にはほぼ出席せず中退します。東京大学在学中にメンバーを募り、『白樺』を創刊します。

 

 

エピソード

 

30歳 電車にはねられ入院

えええ!と思うような出来ごとですが、88歳まで長生きしています。

 

父親との確執

志賀家で働いていた女中と恋仲になり結婚しようとしますが、父親に反対され、関係が悪くなります。反対を押し切って結婚をしたというわけでもなく、武者小路実篤の従妹であたる女性と31歳のときに結婚しました。女性が初婚でなかったことから、父親はまた反対、直哉は離籍して、結婚式は武者小路家で行われました。

 

引越し魔

生涯に23回引越しをしています。
浮世絵師の葛飾北斎は生涯90回以上引越しをしているので、23回は少ないほうですが、東京都内での引越しではなく、広島、島根、京都、神奈川、群馬、千葉、奈良、静岡とバラエティにとんでいます。

 

きっかけ:

親友との出会いは何でしたか?

 

 

ダメンズ 石川啄木を知ったら現代人は真面目だと思う

1886年2月20日~1912年4月13日 職業:歌人・詩人
出身:日本(岩手県)

志賀直哉と同じ東北出身、3歳年下の問題児です。

 

石川啄木の詩でよく知られているのは、下記の歌ですよね?

はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

 

働いても働いても暮らしが楽にならない、今の社会人の心の声のような歌ですが、石川啄木はそんな真面目ではなかったです。

 

16歳

少年時代から文学少年ではありましたが、試験でカンニングをして退学になります。

18歳

周囲の反対があったにも関わらず、中学時代の同級生の女性と婚約、婚姻届だけ父親が市役所に提出し、父母、妹と新妻の節子の同居の新婚生活が始まります。

父親は失業しており、啄木が一家の大黒柱になって稼がなければならなかったので、文学で身を立てると単身で東京に旅立ちます。しばらくして、戻るという手紙が届き、結婚式をする約束になっていたので、節子は白無垢を着て待っていました。

ところが、啄木は「父親の面倒をみるのが嫌や」という理由で、盛岡に戻る途中で下車し、結婚式に現れませんでした。帰ってきたのは、結婚式から5日後のことです。

実家に戻ってきても、働き口がなかったので、自身が発起人になり文芸誌を出版しますが、資金が足りず廃業、収入にはなりませんでした。

 

20歳

尋常小学校の代用教員として勤務しますが、最終学歴が中学、基本給が低く生活するのは大変でした。その年の徴兵検査では、あまりの軟弱な身体から免除されています。この頃から小説を書き始めます。そして、長女が誕生します。

 

21歳

北海道函館で新生活を始めようと小学校を退職します。退職するにあたり、引き留められたことで、ストライキ騒ぎを起こします。

単身で函館に渡り、商工会議所の臨時の仕事で生計をたてます。仕事は安定していなかったので、妻子への仕送りはほぼなし、節子は身の回りのものを質に入れ暮らしていたようです。そんな妻の苦労も啄木は気にすることもなく、毎晩飲み歩いていたようです。誰かの口利きにより、尋常小学校の代用教員と、函館新聞社の記者のダブルワークをし、妻子を呼びよせます。

呼び寄せてすぐに函館市で発生した大規模な火災により、小学校と新聞社が焼失します。

今度は単身で、札幌市に渡り新聞社の校正係の仕事を得ますが、小樽新聞社が創刊されることを知り記者になるも、3ヶ月後に社内で起きた内紛に巻き込まれ退社します。新聞記者としての勤務態度は、遅刻欠勤は当たり前だったようです。

 

22歳

中学で1学年先輩だった金田一京助の援助もあり、東京で小説家として活躍するために移住します。出版社に作品を持ち込むも認められず、連日、現実逃避のために浅草で遊び歩きます。

仕送りが来ないことに痺れをきらし、意を決して節子が上京し、共同生活が始まります。長男が誕生しますが、1ヶ月経たないうちに病死します。金銭感覚が全くない夫に耐えられなくなり、節子は家を出て行きます。

この出来ごとに啄木は落ち込み反省して、「一握の砂」を発表します。
「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」などが収録された歌集。

 

24歳

就職活動が実り、朝日新聞の校正係りとして就職が決まります。

 

26歳

結核にかかり亡くなります。妻、父、友人の若山牧水に看取られます。

 

石川啄木の真面目そうな風貌からは、借金踏み倒し、女遊びが絶えない、駄目男っぷりは想像はしにくいです。見た目では分からないものです。

友人の若山牧水は見た目はエグザイル風、一図に恋人を思い続け、大恋愛の末の別れから、恋の歌を沢山詠んでいます。一時、自暴自棄になってお酒に逃げる癖がなおらず、43歳で亡くなっています。

 

2月20日 石川啄木

 

きっかけ:

ギャップ萌えしたことありますか?

 

関連するページ:岩手県盛岡市 石川啄木記念館

 

写真家 アンセル・アダムスの風景写真

1902年2月20日〜1984年4月22日 職業:写真家
出身:アメリカ

モノクロの風景写真(ヨセミテ渓谷)の写真で知られている写真家です。

学校が合わず12歳でやめてしまいます。ピアニストになることを夢見ていましたが、写真家のネガを見て、写真に興味を持ちます。

17歳のときに自然保護団体に入会し、登山をしながら撮影します。その作品は、人の手が入る前の国立公園の記録写真として、環境問題への関心を高めるきっかけになります。

第二次世界大戦中は記録写真に取り組み、収容所での日系人の暮らしを記録した写真家です。

 

ロバート・アルトマン監督の映画作品

1925年2月20日~2006年11月20日 職業:映画監督
出身:アメリカ

代表作:

  • 『M★A★S★H マッシュ』
  • 『ゴッホ』
  • 『ザ・プレイヤー』
  • 『ショート・カッツ』
  • 『ナッシュビル』
  • 『プレタポルテ』
  • 『ゴスフォード・パーク』

 

マイク・リー監督の映画作品

1943年2月20日 職業:映画監督・脚本家・舞台監督
出身:イギリス

ほとんどの作品で脚本は使わず、演じる俳優さんとキャラクターを話し合いで決め、即興のように演じさせる監督です。

代表作:

  • 『ターナー、光に愛を求めて』
  • 『家族の庭』
  • 『秘密と嘘』
  • 『人生は、時々晴れ』

 

2月20日 今日は何の日?365日のきっかけ

世界社会正義の日

2007年の国連総会決議で制定され、2009年から実施された国際デーの1つです。貧困削減や、国際労働機関の定める労働者の権利の促進を目的に制定されました。

交通事故死ゼロを目指す日

日本政府が生活安心プロジェクトの一環として2008年から実施されています。2月20日と、春・秋の全国交通安全運動の期間中の4月10日、9月30日の前後に交通安全週間が開催されます。

歌舞伎の日

(旧暦)慶長12年2月20日、出雲阿国が江戸城において将軍徳川家康や諸大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したことに因みます。

 

アレルギーの日

1966年2月20日、免疫学者の石坂公成・照子夫妻が、ブタクサによる花粉症の研究からアレルギーを起こす原因となる免疫グロブリンEを発見したことを発表したことに因み、日本アレルギー協会が1995年に制定しました。

 

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、2月20日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!