2月24日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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2月24日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

ナイキの創業者フィル・ナイトと日本との関係

マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏は読書家で知られ、2016年に読んだ本のなかでベスト5に入る本にナイキ創業者であるフィル・ナイト氏の自伝『Shoe Dog』をあげていました。2017年に日本語訳が発売され、話題になりました。

フィル・ナイトはどんな人?

1938年2月24日 職業:ナイキ創業者
出身:アメリカ

オレゴン大学で陸上競技にのめり込み、卒業後、スタンフォード大学のビジネススクールに通います。スタンフォード大学で戦後の日本がどのように復活し、市場に参入したのか、高い技術力と生産力に注目した授業を受けたことがきっかけで、日本に興味をもちます。

ビジネススクールを修了後、陸軍で経験を経て、24歳のとき「自分は何をしたいのか?どのように生きたいのか?」という人生の意味を考えます。そのときに思い出したのが、スタンフォード大学での授業でした。

ランニングシューズであれば選手としての知識も活かせる、日本製のシューズの可能性を考え、日本製のシューズを取り寄せてみることにします。届いたシューズを見たナイト氏は、あまりの美しさにときめいたようです。

実家のあるオレゴンに戻ったナイト氏は、世界を旅してみたい、日本に行きたいと家族に伝えると、いい返事は得られなかったようですが、J・D・サリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』とウィリアム・バロウズ著『裸のランチ』の2冊をリュックサックに詰め込み世界を旅し、日本に辿り着きます。

オニツカタイガーとの関係

低価格なのに品質が良い、オニツカタイガー(現アシックス)に目をつけていたナイト氏は、神戸の本社を訪れ交渉します。まだ会社を立ち上げていなかったにも関わらず、両親がいる実家を会社とし、陸上競技で勝ち取った「ブルーリボン」を思い出し、ブルーリボンスポーツの代表者と名乗ります。

それで信じてもらえたのかすごいところですが、1962年24歳のときにオニツカタイガーのアメリカ販売権を取得します。

帰国後の1964年、資金調達をし、会社を立ち上げるためにメンバーを集い、オレゴン大学の陸上コーチと共同で、ブルーリボンスポーツ社を設立します。オニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売を開始します。

小さな会社の資産のわりに成長が早すぎることを銀行員に指摘されるほど、売上は伸びていました。次第に輸入した製品を売るだけではなく、製品開発に興味を持つようになります。そこでアイデアをオニツカに伝えデザインされた製品が、ブルーリボンスポーツの看板商品になります。

日商岩井との関係

しかし、オニツカとの関係は徐々にうまくいかなくなり契約を破棄されます。そのときに手を差し伸べたのは、日本の「日商岩井」という商社でした。他の日本のメーカーを紹介してもらい、新たなブランドを立ち上げ、独自の製品を作ることになります。

そして1971年、ナイキの象徴であるスウッシュ (Swoosh)がデザインされたシューズが登場します。工場は、福岡県の日本ゴム(現:アサヒシューズ)で1972年から生産が開始されました。

ブランド名NIKEとロゴ(スウッシュ)

ブランド名を決めて特許局に申請書類を提出しなければならないというギリギリになっても、いいアイデアが浮かばないと困っていたところ、社員の一人が提案します。

(ロゴが翼を広げたデザインに見えることも関係すると思いますが)「昨晩、ギリシャ神話の勝利の女神ニケの夢を見たんだ…ナイキはどう?」その一言で、ブランド名が決まり、社名も「ナイキ」に変更されました。

1971年に商標登録されたスウッシュ (Swoosh)というロゴは、ナイト氏が、会計学の講師のアルバイトをしていた州立大学で知り合った女性がデザインしました。女性はデザインを専攻していましたが、仕事としてのキャリアは少なく、請求したロゴのデザイン料は35ドルだったようです。その後、初期のナイキのデザインにも携わっていたようです。

1995年には「NIKE」というブランド名を取り去り、ロゴだけになりました。
マークだけで「NIKE」と認識できるくらい知れ渡っていたため、よりブランド戦略を固める狙いだったのでしょうか。

1980年から1890年代にかけて、NBAのマイケル・ジョーダン選手とコラボした、「エアジョーダン」シリーズは、世界的に大人気商品になりました。

ナイキがスポーツメーカーとして頭角を表した理由

ナイキが創業したときには、すでに複数のシューズメーカー、ドイツのアディダスとpuma、アメリカのコンバースやニューバランスなど、20世紀前半からすでに販売していた老舗がありました。それにもかかわらず後発のナイキが台頭したのは、デザイン性や販売戦略などあるかと思いますが、創業メンバーの個性的なキャラクターや「みんなが走れば世界は良くなる」というような発言にみる、靴によって世界や人を変えるような出会いを提案するという姿勢や情熱にあるようです。

2月24日 フィル・ナイト

きっかけ:

靴に拘りはありますか?特定のメーカーですか?

Appleの創業者スティーブ・ジョブズと日本との関係

スティーブ・ジョブズはどんな人?

1955年2月24日~2011年10月5日 職業:Apple創業者
出身:アメリカ

実の両親は大学院生同士のカップルで、ジョブズ氏は生まれる前から養子にだされることが決まっていましたが、ジョブズ夫妻が大学卒ではないことを知った生みの母は、養子縁組を躊躇します。スティーブを大学に入れることを条件に、養子縁組が決まります。

幼少の頃のジョブズは、憧れのヒューレット・パッカード社の創業者の自宅を電話帳で調べ、カウンタの部品を下さいと直談判、ビルは部品を送ってくれただけでなく、アルバイトをしてみないか?と声をかけてくれました。高校生のときにヒューレット・パッカードでインターンシップをします。

大学入学・中退・アルバイト時代

高校を卒業しリード大学に進学しますが、半年経った頃、自分の興味のない学科を勉強することの意味や、両親が必死になって貯めたお金を自分が全く、興味のないと思っていることに使うことに罪悪感を覚え、中退します。

リード大学は、カリグラフィー教育において、当時国内最高水準であったため、キャンパス内に張ってあるポスターやラベルにいたるどこにでも、美しい手描きのカリグラフィーが見ることが出来たこともあり、もぐりの聴講生としてカリグラフィーや哲学を学び、18ヶ月リード大学で過ごしています。

その後、インドを旅したいと考えていたジョブズ氏は、旅費を稼ぐために、当時、大人気であったゲームメーカーATARIを訪問します。ATARIの創業者であるノーラン・ブッシュネル氏についてはこちらをご覧ください。

Apple創業・解雇・NeXTとピクサー創業・Appleに復活

20歳のときに、実家のガレージで、ステファン・ゲーリー・ウォズニアック氏と共同でAppleを創業します。

ウォズニアック氏との出会いは、ヒューレット・パッカードでインターンシップをしていたときに出会い、意気投合した人です。スティーブ・ジョブズ氏がATARIでアルバイトしていたときに、困ったときもウォズニアック氏に手を借りています。

2人で始めた会社は、10年後に従業員4000人以上を抱える大企業になりました。しかし、30歳の誕生日を迎えた矢先に、解雇通知がだされます。

自分が創業した会社を解雇されるとは思ってもみなかったので落ち込み、理想のコンピュータ像を求めて、大学内を回っているときに、高等教育のためのコンピュータの構想を膨らませて行きます。そこで気付いたのは、自分の仕事が好き、それは変わらないと正式に解雇を受け入れ、辞表をだします。

辞表をだしてから、僅か5年の間に会社を立ち上げるために、所有していたアップル株を売却し、NeXTとピクサーを立ち上げました。

解雇されてから15年後の1996年、アップルがNeXTを買収し、ジョブズ氏がアップルの顧問になるというカタチで復帰し、その後、2000年にCEOに就任しました。

その後の話は、製品をよく使っている方が多いと思いますので、割愛します。

2005年にスタンフォード大学の卒業式で行われたスピーチです。

人生から学んだ3つの話

  1. 「点と点をつなぐ」
  2. 「愛と敗北」
  3. 「死に関する話」

ジョブズ氏と日本の関係

ソニーの盛田昭夫

ジョブズ氏が影響受けた日本の起業家としてあげられているのは、ソニーの創業者の一人である盛田昭夫氏です。Appleの工場はソニーの工場を参考にしていたとも言われています。

また毎日同じような、ジーンズにタートルネックというファッションであったことも知られています。それはソニーの工場を見学した際に、工場の従業員が同じ服を着ていたことに驚き、戦後の日本には服がなく、会社で支給する必要があったという話に感銘を受け、イッセイ・ミヤケのオーダーシャツを着続けました。

シャープの佐々木正

もう一人はソニーの元社長・会長である社長・会長をつとめた大賀典雄氏を紹介したシャープの元副社長である佐々木正氏です。

アップルを解雇されてから、間もなくのころ、シャープの会長である佐々木正氏を訪ねるために、来日しています。素足にサンダル、長髪にヒゲ、小汚い恰好のジョブズ氏は、オフィスに通され、素足でソファーの上にあぐらをかいたことに、佐々木氏はたしなめますが、態度を改めることはなかったようです。

何をしたいのか?という問いに、「音楽」と答えたジョブズ氏にソニーを紹介したのが、佐々木正氏でした。佐々木正氏については、こちらの記事がオススメです。

あぐらをかいた理由として禅を学んでいたので、それが礼儀だと思っていたのかもしれませんが、ジョブズ氏の哲学や美学に、「禅」が大きな影響を及ぼしていたのは、インドに修行に行ったり(すぐ戻ってきた)、裸足で歩いていたり、瞑想を生活に取り入れたりという行動から読み取れるかもしれません。

そのきっかけになったのは、何だったのか?
1960~70年にかけて、欧米で禅の関心が高まり、ヒッピーと呼ばれる若者層が特に注目したと言われています。

ジョブズ氏はヒッピー世代で、17歳のときに何かで見た「毎日、これが人生の最後の日と思って行きなさい。やがて必ずその通りになる日がくるから」という言葉を毎日自分に問います。

「もし今日が人生の最後の日だったら、私は本当にやりたいことをしているだろうか?」

そういう問いは禅に通じるものが確かにありますよね?

また日本食を好んで食べていたことも知られています。毎週通っていた、シリコンバレーの日本料理店の職人であった佐久間俊雄氏の本『ジョブズの料理人』で触れています。

ジョブズ氏の名言?発言にこんなものがあります。

集中力というのは、集中しなければいけないことに「イエス」と言うことだと皆思っているがそうではない。

真の集中力というのは、他の多くの良いアイデアに対して「ノー」ということである。取捨選択は注意深く行わなければいけない。

わたしは、やらなかったことに対しても、達成したことと同じように誇りに思っている。イノベーションというのは、1000のことに「ノー」ということである。

ジョブズ氏は、アップルで何をしたかったのか?という問いに、コンピューターによって世界を変えたい人々、単に仕事をこなす人々ではなく、コンピュータで何か違うものを創造したい人々に提案したいというようなことを言っています。

ナイキの創業者フィル・ナイト氏とちょっと似てますね。ですが、ジョブズ氏が好んで履いていたのは、ニューバランスのスニーカーで、ナイキではありません。

映画『スティーブ・ジョブズ』は2015年に公開されました。

きっかけ:

カリグラフィーに挑戦してみましょう。

パイロットのパラレルペンはカリグラフィー用のペンなので、手軽に出来てオススメです。

2月24日 今日は何の日?365日のきっかけ

鉄道ストの日

1898年2月24日、日本初の鉄道ストライキが実施されたことに因みます。日本鉄道の機関士ら400人がストライキに突入し、上野 から青森間の列車が運休しました。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、2月24日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!