2月27日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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2月27日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

ジョン・スタインベックの著作

1902年2月27日~1968年12月20日 職業:小説家・劇作家
出身:アメリカ

代表作:

  • 『エデンの東』
  • 『付は沈みぬ』
  • 『怒りの葡萄』
  • 『ハツカネズミと人間』
  • 『チャーリーとの旅』

『エデンの東』『怒りの葡萄』『ハツカネズミと人間』は映画化されています。

スタンフォード大学に入学し海洋生物学を学びますが、それ以外の授業はほぼ出席せずに牧場や砂糖工場などで働きます。この経験が作品に影響しています。大学を退学し、山小屋やマスの孵化場で働きながら、小説を書き、27歳で小説家デビューしました。

1962年にノーベル文学賞を受賞しました。

KENZOデザイナー高田賢三 成功も失敗も

1939年2月27日  職業:ファッションデザイナー
出身:日本(兵庫県)

ファッションブランドKENZOの創業者です。

著書:

  • 『夢の回想録 高田賢三自伝』

7人兄弟(五男二女)という大家族に生まれ、幼い頃は内気な性格で病気がちだった姉とともに部屋で過ごすことが好きな少年でした。姉が好きだった少女雑誌「ひまわり」の表紙の中原淳一のイラストに魅了され、真似して描いていました。。

高校卒業後、神戸市外語大学に入学しますが、通学の途中に文化服装学院の「男子の洋裁学生 初募集」広告が目に入ります。

当時、洋裁学校は女性の花嫁修業の1つで、男性が行ったところで、就職先がないという状態で、家族からも就職先の心配をされますが、大学を辞め、アルバイトをして東京に上京するお金を貯めます。

文化服装学院では、同級生にコシノジュンコさん、金子功さん(ピンクハウス)、松田光弘さんなど、後にファッション界をけん引するライバルと出会います。

…余談

TSUTAYAの創業者である増田宗昭さんは、洋裁学校に通った際、クラスに男子学生は増田さんお一人だったようです。

卒業後に婦人服専門小売業の会社での経験を経て、21歳のときに第8回装苑賞を受賞します。文化出版局発行のファッション雑誌「装苑」が主催するコンテスト装苑賞は、ファッションデザイナーの登竜門です。

1960年代は高度経済成長期であったため、住んでいたアパートを立ち退くことになり、思わぬ収入を得たことをきっかけに、26歳で会社を休職しパリに行くことを決意します。

船でパリに行くまでの間、アジアや中東、アフリカ、ヨーロッパなどで、見聞きしたものが、デザインのモチーフになります。「混ぜるのが好き」という作風から、異文化を融合させたファッションが十八番です。

パリに到着し、描きあげたデザイン画をブティックに持ち込むと、即座に買い取ってもらえたので、デザイナーとしてすぐに勤め先が見つかります。

渡仏してから5年後の1970年 31歳のときに、パリ2区に自身のブティックを創業します。お金がなくすべて手作り、仲間に助けてもらい、お店で小さなファッションショーを開催します。ショーで音楽を流した初のデザイナーとも言われています。

その後は、世界的に知られるファッションブランドの1つに発展しますが、成功ばかりではなく失敗や挫折も数多く経験し、1999年には経営権を巡る争いの末、一度はデザイナー職から退いています。

2003年頃に復帰し、2004年、ユニクロの創業者である柳井正氏とともに、アテネ五輪の日本選手団の公式ユニホームを手掛けました。

2月27日 高田賢三

きっかけ:

過去の失敗からの教訓は何ですか?

ティモシー・スポール出演の映画作品

1957年2月27日  職業:俳優
出身:イギリス

代表作:

  • 『ターナー、光に愛を求めて』
  • 『英国王のスピーチ』
  • 『アリス・イン・ワンダーランド』シリーズ
  • 『ハリー・ポッター』シリーズ
  • 『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
  • 『魔法にかけられて』
  • 『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』

万城目学の著作

1976年2月27日  職業:小説家
出身:日本(大阪府)

代表作:

  • 『鹿男あをによし』
  • 『鴨川ホルモー』
  • 『プリンセス・トヨトミ』
  • 『ザ・万歩計』
  • 『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』

『鴨川ホルモー』『プリンセス・トヨトミ』『偉大なる、しゅららぼん』は映画化されています。『鹿男あをによし』はドラマ化されました。

2月27日 今日は何の日?365日のきっかけ

ピンとくるような記念日がなかったので…

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)の没日です。

1558年?月?日~1637年2月27日 職業:書家・陶芸家・芸術家

2015年は本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領して400年と尾形光琳の没後300年を記念して「琳派年」と呼ばれ、全国各地で琳派の展覧会が開催されました。雑誌の特集でも琳派を取り上げたものが非常に多かったです。

尾形光琳の名前の一字をとって琳派としていますが、それよりも前に活躍した本阿弥光悦、俵屋宗達(たわらや そうたつ)なくして語れることはありません。また、流派は異なりますが狩野派や長谷川等伯、土佐派なくして存在しません。

応仁の乱以降、絵画は多様化し、高価な襖絵や屏風もあれば廉価な扇まで、幅広いニーズに答えられるようデパートのような品揃えを目指す工房(狩野派や琳派などの流派)が、日本の意匠に新たな価値を加えたと言えます。

本阿弥光悦は刀剣の鑑定を家業にする家に生まれ、幼少のときから工芸に対する見識眼を身につけられる環境にありました。非常に勉強熱心で個人で書や陶芸、出版、茶の湯と幅広い分野で、名前を残しています。

光悦は、厳島神社の寺宝『平家納経』の修復にあたり、絵師として才能はあるのに、売れていなかった若手の絵師、俵屋宗達に声をかけます。

この仕事をしたあと、俵屋宗達は絵師として頭角を表し、代表作の『風神雷神図屏風』などを手掛けています。光悦がいなかったら、俵屋宗達は世にでていなかった、宗達の絵を模写したのが尾形光琳なので、光悦なくして琳派はありえない、ゆえに琳派の創始者は本阿弥光悦です。

光悦と宗達のコラボ作品『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』で、宗達が絵を描き、光悦が書をしたためています。絵の上に文字を書かなければならないのは、よほどプレッシャーだったのか、光悦は、冒頭の名前(柿本人麻呂)の屋号:柿本人丸の人が抜けてしまい、「柿本丸」と間違えてしまいます。

見事な絵が描かれてあるのに、一から全部やり直しすることも、修正することも出来ませんから、本と丸の間に < この記号を書いて「人」を付け加えています。やらかしてしまった光悦、ちょっとカワイイですよね?

初期の金継スト

本阿弥光悦が現代にも関係していると思うのは金継です。金継は、割れた陶磁器の修復する方法です。近年、金継を教える教室や書籍を見る機会が増えました。

本阿弥光悦は陶芸家で茶人でもあり、光悦が金継で継いだ「赤楽茶碗 雪峰(せっぽう)」は文化財に指定されています。金継がお直しでちょっとカッコ悪いみたいな認識から、芸術の域までに高めた初期の金継職人=キンツギスト?(勝手につくった造語)だったと言えると思います。

尾形光琳と弟、尾形乾山

余談ですが…尾形光琳の弟の乾山(けんざん)も陶芸家でした。尾形光琳も乾山も30代になってから、絵師や陶芸家になっています。苦労はしますが、わりと何でもそつなくこなせるのは、幼少期からの教育によるものです。

この時代以前から、「琴棋書画 きん・き・しょ・が」の4つの教養が重要視されていました。簡単に言うと、楽器演奏、ゲーム感覚、文学を理解し美しい文字が書ける、絵が描けることです。

尾形家は京の呉服商で光琳は3人兄弟の次男、乾山は三男として生まれました。裕福な家に生まれたので、学ぶ余裕がありました。しかし、光琳が30歳のときに父親が亡くなり、兄が家督を継ぎますが、経営破たんし、弟2人はそれぞれ、絵や陶芸の道に進みます(弟子入りします)。光琳は40歳で本格的に画家として活動するようになりました。

代表作の『燕子花図屏風』は、画家として本格的に活動した頃の作品で、44歳には法橋の位を得ています。一方で大変な遊び人でお妾6人、金遣いが荒く自由奔放な性格でした。対照的に弟の乾山はしっかり者で、性格は似ていなかったようですが、兄弟は仲が良く、コラボで制作した絵皿などが残っています。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、2月27日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!