3月10日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
パブロ・デ・サラサーテのツィゴイネルワイゼン
1844年3月10日 ~1908年9月20日 職業:作曲家・ヴァイオリン奏者
出身:スペイン
8歳のときにヴァイオリンの演奏公演デビューをし、16歳頃から本格的に演奏家として活動を始め、21歳の頃に9歳年上のサン・サーンスと親しくなり、演奏活動旅行をしました。
代表曲:
- 『ツィゴイネルワイゼン』
- 『カルメン幻想曲』
- 『スペイン舞曲集』
石井桃子の絵本
1907年3月10日~2008年4月2日 職業:児童文学作家・翻訳家
出身:日本(埼玉県)
代表作:
- 『ノンちゃん雲に乗る』
- 『子どもの図書館』
- 『みがけば光る』
- 『家と庭と犬とねこ』
- 『新しいおとな』
- 『石井桃子のことば』
石井桃子さんを知らない方でも、石井さんが訳された本は読んだことがあると思います。下記はそのなかのごく一部です。
- A・A・ミルンの『プー横丁にたった家』
- マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』
- バージニア・リバートン『ちいさいおうち』
- ビアトリクス・ポター『ピーターラビット』シリーズ
代々、金物店を営む旧家に生まれますが、父親は小学校の先生を経て、友人と一緒に銀行を興し、支配人として勤務していました。
そういった家庭だったことも影響し、この時代の女性では少数だった、大学の英文科に進学し、菊池寛のもとで外国の雑誌や原書を読んで訳すアルバイトをしていました。卒業後、雑誌編集者に3年ほど勤務し、仕事で知り合った犬養健と親しくなり、犬養家に遊びに行った際に、『プー横丁にたった家』の原書と出会い、プーの訳を始めます。
出版社に勤めながら、プーの訳を完成させ翻訳版を出版します。しかし、戦争が始まると、翻訳どころではないので、活動を中断します。
戦後は、宮城県のある村で友人とともに開墾し、農業や酪農を始めます。しかし、資金難に悩むようになり、仕事を勧められたのを機に上京し、岩波書店の嘱託職員になり、岩波少年文庫の企画編集に携わりました。
ハリー・ベルトイアのサウンド彫刻
1915年3月10日~1978年11月6日 職業:家具デザイナー・美術家
出身:イタリア
ハリーが10代のとき、イタリアで大規模な干ばつが起こり、食べることに困る生活でした。15歳で兄とともにアメリカに渡り、高校で美術とデザインを学び、手作りのジュエリー作りを学びます。
最初はジュエリーデザインと金属工作のワークショップなどで生計をたてていましたが、戦争が始まると、金属が希少で高価な素材になったので、勤め人をしていたこともあります。
戦後、5本のワイヤーから椅子を作ります。この椅子が彫刻作品の原点になります。それから金属を利用して奏でるサウンド彫刻に目覚めます。
下記の動画がサウンド彫刻作品です。
触らないと音が鳴らないので、サウンド彫刻の先駆者と言われているジャン・ティンゲリーのような廃物を組み合わせて彫刻にし、外に設置することで動いたり、音が鳴ったりする彫刻とはタイプが異なります。
金属以外の素材、例えば、石や木材でも可能で、鑑賞者が彫刻に触れることによって音を奏でることが出来ることや、楽器ではなくサウンド彫刻はアートの一つ、彫刻に音という価値をつけ加える発想が面白いと思います。
きっかけ:
価値をつけ加えて、新しいものにしてみませんか?
山下清は裸の大将ではなかった!?ドラマが作った人物像
山下清さんのお名前で検索すると、山下清さんを演じた役者さんの写真も表示されるので、ご本人が分かりにくいです。それだけ似ていらっしゃるということだから、すごいですよね。
山下清はどんな人?
1922年3月10日~1971年7月12日 職業:画家
出身:日本(東京都)
千切り絵に出会い、才能を開花
生まれた翌年に関東大震災により、住まいが焼失してしまい、両親の故郷である新潟市に転居します。3歳頃に消化不良から命の危険に陥り、言語障害の後遺症が残ります。
一年後に一家は東京に戻ります。清が10歳のときに父親が他界し、母親が再婚します。小学校に入学してから、言語障害で周囲の同級生からいじめを受けるようになり、孤独な毎日を過ごしていたようです。清が学校でいじめられていると義父に相談すると、いじめた相手を「刃物で脅せ」と言われたため、清はそれに従い、鉛筆を削るために持ち歩いていたナイフで同級生を脅し、大怪我をさせてしまいます。
清がとった行動に思い余った母親が、千葉県の養護施設に入園させます。そこでちぎり絵に出会ったことがきっかけで、才能を開花させます。
15歳の頃に、学生たちの絵の展覧会が開催され、清の作品も展示されたことがきっかけに、銀座の画廊で初個展が開催され、大阪などでも展覧会が開催されました。
飽きたので放浪旅にでた
1940年18歳 6年の学校生活に飽きてくると、学校の生活に息苦しさを感じるようになり逃げるように学校を飛び出し、放浪の旅にでます。
1940年は戦時下で、清も年齢的に徴兵検査を受け出兵しなければならなかったことに恐怖を感じていたようです。
1943年21歳 徴兵検査から免れたと思い込んだ清は母親のもとに戻りますが、母親は清を徴兵検査場に連れて行きました。結果は不合格になり徴兵が免除され、放浪の旅を続けることになります。
このあたりのことが、公式サイトに書かれてあることと、Wikipediaでは異なっています。上記は公式サイトの話で下記はWikipediaの話です。
放浪旅にでた際に、食堂の手伝いをしていたところ、養護施設の職員に見つかり、無理やり徴兵検査委を受けさせられ、知的障害を理由に兵役免除になると書かれてありました。
誰に連れて行かれたか?は定かではないですが、兵役免除になり放浪旅を続けたというところは共通しています。

ドラマとは違う人物像
ドラマなどでは、旅をしながらそこで出会った風景などを絵に描き(千切って)ように描かれていますが、実際には、目で覚えたものを帰ってから再現していたようです。驚異的な瞬間記憶能力の持ち主、カメラアイであったようです。
戦後、日本のゴッホ、裸の大将と呼ばれ、全国、ヨーロッパ各地で展覧会が開催されました。
山下清さんは白いタンクトップ(下着)と短パン、リュックサックという出で立ち、おにぎりを頬張り、「うまいんだな。」と一言のイメージが強いですよね?それは、ドラマが作りだした人物像で、実際は身だしなみに拘りがあり、気を使っていたようです。Wikipediaに掲載されていた写真も、着物の上にリュックサックを背負っていました。
塩むすびは確かに美味しいですが、お供えのものを盗んでまで食べるような(ドラマだとそういう設定)食いしん坊であったり、豪快な食べ方も異なるようです。好きなものは、かつ丼、すき焼き、お寿司、ご飯以外には甘いものが好物でした。
晩年は東京都練馬区に住み、『東海道五十三次』の制作に挑戦して、東京から今日まで旅行して、55作品を遺しました。
きっかけ:
瞬間記憶を鍛えてみませんか?
瞬間記憶で、思い出すのは、映画『レインマン』で、ダスティン・ホフマンが、サヴァン症候群のレイモンド役を演じ、電話帳を記憶していたとか、一瞬で落ちたマッチの本数を数えたなど、サヴァン症候群の特殊な才能に触れられていました。
驚異的に感じる瞬間記録という能力ですが、絵を描く人にも同じような能力の人いますよね?
驚異的な速さで本を読む上級速読者のなかには、重要な部分だけ抜き出して、読んでいるのではなく、写真を撮るような感覚で読んでいる人もいるようです。これも訓練することで出来るようになる人もいるようなので、超人的に見える能力も訓練次第では出来るようになる能力なのかもしれません。
海外のテレビドラマか何かで、捜査官は瞬間記憶を鍛える訓練を受けているというのを見て、すごく興味があって、やってみたことがあります。方法は1分くらい同じものを見て覚えて、1分後、見ないで、覚えているものを書きだしていく、その時間をどんどん縮めていきます。
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日本の写真家に影響を与えたエド・ファン・デア・エルスケン
1925年3月10日~1990年12月28日 職業:写真家
出身:オランダ
第二次世界大戦後にフリーのカメラマンとして活動を始め、1950年代から数度、来日しているため、当時の日本の若手カメラマンに影響を与えた写真家です。
写真が気軽に撮れるようになった時代に、写真の良し悪しが私には分からなくて、たまたま見つけたほぼ日刊トレイの下記のサイトがとても面白かったので、ご興味のある方は是非、見てください。
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藤子不二雄A 人の敬称は何がいい?
1934年3月10日 職業:漫画家
出身:日本(富山県)
本名、安孫子素雄氏は、藤子・F・不二雄氏こと、藤本氏と出会い、コンビを組んで、「藤子不二雄」という名前で活動していました。
代表作:
- 『忍者ハットリくん』
- 『怪物くん』
- 『まんが道』
- 『プロゴルファー猿』
- 『魔太郎がくる!!』
- 『笑ゥせぇるすまん』
藤子Aワールドで無料試し読みが出来ます。
※A氏=安孫子氏 F氏=藤本氏
2人の出会い
2人の出会いは小学校の頃です。A氏の父親は寺の住職でしたが、10歳のときに亡くなり、転校した学校で、F氏と同じクラスだったことから始まります。
ある日、A少年が、ノートに漫画を描いているのを見たF少年が話しかけたことがきっかけで仲良くなり、いつも一緒に遊んでいたようです。この頃から漫画家を志し、高校在学中に小学生新聞でデビューします。
高校を卒業し、2人とも就職しますが、漫画家の夢を諦めたわけではなかったので、春休みを利用して、手塚治虫に会いにいきました。そこで、自分たちが書いた漫画を見せると、手塚治虫はあまりの上手さに驚き、漫画は終生大切に保管していたようです。手塚治虫の仕事量を見て、1人よりも2人でやった方がいいと合作することを決めます。
社会人から転身
4月になり、2人は就職した会社で働き始めますが、F氏は製菓会社だったため、機械に手を巻き込まれて手を怪我した場合、漫画が描けなくなるという心配から数日で辞めてしまいます。一方、A氏は親戚が経営していた新聞社に入社し、得意分野を活かして順調に会社勤めをしていました。
F氏が、A氏を誘い、2人で上京し2畳の和室で共同生活をしながら、漫画を描くようになります。ペンネーム「藤子不二雄」の名前で活躍するようになります。手塚治虫がトキワ荘を出たため、2人がそのあとに入りますが、お金がなかった2人のために、敷金を手塚治虫が肩代わりしたようです。
両者の作風の違いからコンビを解消し、A氏が「藤子不二雄A」、F氏が「藤子・F・不二雄」の名前で活躍しました。
エピソードとして、非常に社交的な反面、シャイで、相手の敬称を悩み、「君付けは慣れ慣れしい、さん付けは距離が遠くないか」などを気にして、「氏」をつけていたという話がありました。
ちょっと異なりますが、名前を尋ねるほどではない目上の人や年が若そうな人の呼び方を迷っています。おばさんは失礼だし、お母さんでない場合もある、お姉さんも何だか違和感がある、お嬢ちゃんもそこの女子も変…
以前、家の前を自転車で通り過ぎた同世代の女性が、携帯電話を落としたので、拾って追いかけたのですが、向こうは自転車で、こちらは鈍足、何度も「待って~自転車の人、携帯落としましたよ」と叫んだけれど、全く気づいてはくれませんでした。
何か適当な呼び方があったら、「自転車の人」じゃない言い方が出来たのかな?と思いました。結局、追いつかなくて、戻ろうと歩いているときに、落としたことに気付いた女性が引き返して私の前を通ったので、渡せました。
きっかけ:
人の呼び方で困ったことはありますか?
関連
3月10日 今日は何の日?365日のきっかけ
東京都平和の日
1945年3月10日の東京大空襲にちなみ、東京都が1990年に制定しました。
佐渡の日・水戸の日
語呂合わせ 3(さ)10(ど)佐渡観光協会が1998年に制定しました。
また、語呂合わせ 3(み)10(と)水戸の日でもあります。
サボテンの日
語呂合わせ 3(さ)(ぼ)10(てん)サボテンの日です。
名古屋コーチンの日
日本家禽協会によって国内初の実用鶏種として認定されたことにちなみ、愛知県と名古屋コーチン協会が定める記念日として、日本記念日協会に認定されました。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、3月10日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!