3月22日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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3月22日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画生産工場

1599年3月22日~1641年12月9日 職業:画家
出身:ベルギー

15世紀後半から16世紀前半にドイツで活躍した、ルーカス・クラーナハは時代に先駆けて、大型の絵画工房を開設していたそうです。そういう工房を真似して、絵画工房を運営していた画家は想像しているよりも多いのかもしれません。

ヴァン・ダイクは裕福な家庭に生まれ、幼少の頃から絵を描くことが好きで、アントウェルペンで、画家から絵を学びます。16歳の頃に、友人のヤン・ブリューゲル(バベルの塔で有名なブリューゲルの子ども)と一緒に工房を構え、画家として独立しました。

アントウェルペンという町は、ルーベンスも活躍していました。ルーベンスはアントウェルペンを含むヨーロッパ全域で、その名前を轟かせており、若手画家と絵画制作を補助契約を結び、大規模な絵画工房を運営していました。

ヴァン・ダイクはルーベンスの片腕として、絵画の受注の取り方、海外での活動、工房運営などを学びます。ルーベンスの方が22歳年上だったこともあり、かなり影響を受けたようです。

その後、ヴァン・ダイクはアントウェルペンを出て、イタリアを中心に活動をし、最終的にはイギリスに移住し、国王チャールズ1世の画家として宮廷で活躍しました。

また、ロンドンで大規模な肖像画の生産工場を立ち上げました。ヴァン・ダイクは下絵を描き、頭部だけ描く、あとの衣服などは専門に描く画家にまわすというかたちで、分業の共同作業で仕上げていきます。その方法は工場と同じようなものなので、量産は出来ますが、最後のチェックが甘く、絵画の質が低下、ヴァン・ダイク工房の作品は大量に出回り、それを真似た贋作も出回り、オリジナルとの判別がつきにくくなってしまいました。

絵本作家のパイオニア ランドルフ・コールデコットのイラスト

1846年3月22日~1886年2月12日 職業:イラストレーター・美術家
出身:オランダ

もともとは銀行にお勤めしていました。その傍らに、雑誌や新聞にイラストを寄稿していましたが、美術学校で本格的に絵を学び、イラストレーターとして独立しました。

絵本作家として活躍した初期のイラストレーターで、多くの絵本作家たちに影響を与えたようです。


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女性科学者のパイオニア猿橋勝子

1920年3月22日~2007年9月29日 職業:地球科学者
出身:日本(東京都)

パントマイムや無言劇の神様 マルセル・マルソー

1923年3月22日~2007年9月22日 職業:パントマイムアーティスト
出身:フランス

16歳のときに第二次世界大戦が勃発し、ユダヤ人であるマルセルの一家は、フランスリモージュに移住します。兄弟とともに英語が堪能だったので、軍隊の渉外係として働きますが、父親はゲシュタポに捕えられ、アウシュビッツ強制収容所で亡くなりました。

チャップリンの映画を観たことをきっかけに、俳優の道を志し、戦後23歳のときに、演劇学校に入学します。そこで身体を使ったパフォーマンスを学びます。劇団のパントマイムを演じる道化師役がぴったりはまり、身体だけで表現する無言劇を行いました。

マイケル・ジャクソンのムーンウォークは、マルセル・マルソーの動きを参考にしているとも言われています。

きっかけ:

無言で会話してみましょう。

点々の草間彌生 水玉模様や網は無限を表す

1929年3月22日 職業:芸術家
出身:日本(長野県)

誕生~ニューヨークに旅立つまで編

長野県松本市の種苗業(種と苗を育てる商い)を営む裕福な家に生まれました。

婿養子であった父親は豪快で金遣いが荒く、気性の激しい母親との関係は冷めていました。芸者遊びと妾をつくって家にいない父親、当然よく思わない母親のイライラ、両親の不和、母と娘の確執、ピリピリとした家のなかの不穏が草間さんの精神病(幻聴や幻覚)を悪化させたと回想されています。

絵を描いているときだけは無心でいられたため、幼いころから絵を描くのが好きでした。

松本でも裕福な家であったため、売れない芸術家の絵を慈善として購入することが多く、食べられない生活をしている画家を間近で見ていた母親は、草間さんが絵を描くことを反対し続けます。一方、絵を描くことが好きであった父親は描くことを応援してくれ、画材を買ってくれたようです。

10歳の頃から、十八番である水玉のモチーフを母親の似顔絵に描いていました。水玉で埋め尽くす手法がうまれたきっかけは、ある日、机の上の赤い花模様のテーブルを見たあと、あたり一面が赤い花の形で埋め尽くされ、自分も消える、永遠の時と無限の空間を感じたことに始まります。

机の上の赤い花模様のテーブルを見た後、目を天井に移すと、一面に窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張り付いて、部屋中、身体中、全宇宙が赤い花の形で埋め尽くされて、ついに私は消滅してしまう。

そして永遠の時の無限と空間の絶対の中に、私は回帰し、還元されてしまう。

この一文を読んで思ったのは、目の錯覚でそういう体験をしたことがある人は多いと思うのですが、現象の不思議さに驚くことはあっても、作品に取り入れ、幼少期に永遠の無限を感じることが出来るのは稀かと思います。

下記は、草間ワールドのモチーフに影響した幼少期の体験エピソードだけを集めてみました。

スミレの花をはじめ、さまざまなものと霊魂の交流をし対話した。
・・・

薄い絹のようで色の定かでない灰色のが取り囲む、そういう日は人が彼方に遠退いてしまい、小さくみえてしまう。
・・・

祖父の採取場が遊び場であったために、百日草や日日草、小道にところどころカボチャが小さい実や黄色い花をつけていた。

茎からカボチャをもぎ取ると、私に語りかけてきた。何とも愛嬌のある形をしたかぼちゃに私は魅せられた。

これを見ると分かるように、幼少期の体験から得たモチーフは変わっていません。草間さんの制作の基本概念は下記です。

解体と集積 増殖と分離

ジョージア・オキーフとの文通

19歳になると、親と離れたいという思いから、京都市の美術学校に編入し、日本画を学びます。しかし、精密に描きこまなければならない決まりごとや、学校教育、師弟関係が合わず、アメリカに行きたいと思うようになります。そう思っても、しばらく国内で個展を開催していました。

転機となったのは、精神科医である西丸四方博士から、「あなたは天才だ」と言われたこと、「家にいたらノイローゼになる。少しでも早く母親から離れなさい」と助言されたことで、海外に行くことを真剣に考えるようになります。

しかし、アメリカに行くにも知り合いがいなく、困ったときに、たまたま入った松本市内の古本屋で「ジョージア・オキーフ」の画集が目に入ります。そこで、オキーフに手紙を書いてみようと思い立ちます。

住所はアメリカ大使館に行き、「Who’s who」という住所録の中から探します。返事をもらえない可能性も高いにも関わらず、松本から6時間かけて大使館に行くなんて、思い切った行動ですよね?

手紙を送り、オキーフからお返事があり、文通が始まります。近代のアメリカの女性画家として第一線で活躍していたジョージア・オキーフとの出会いは、草間さんにとって大きな影響だったと思われます。

ニューヨーク編

28歳のとき単身でニューヨークに渡ります。画家として、売れなかった時代は生き地獄で、冬は凍えるような寒い部屋、食べ物に困り、魚屋の屑箱から魚の頭を買い、八百屋で捨てられたキャベツの外葉を拾い集め、一緒に煮てスープを作り、毎日飢えをしのぐような生活でした。

それでも、ニューヨークで芸術の革命を起こしたいという決意、水玉で勝負すると決めてから、毎日、毎日、朝から晩まで、水玉の様々な試作を繰り返しながら描き続けました。

黒一面に塗られたキャンバスの上に半透明の白の点を繰り返し、巨大な平面作品「無限の網」を発表します。キャンバスに向かって描き続けた網は、次第に机や床や椅子、壁を覆いつくすようになります。

作品の形態は、平面作品からソフトスカルプチュア(柔らかい彫刻)にかわり、突起物で覆いつくされた椅子やボードなどを発表しました。

ギリシャ語で、ファルス(男根)と題した作品が生まれたきっかけは、幼少期にたまたま性行為を目撃してしまった経験から、セックスに対しての嫌悪感や恐怖感を克服したいという自己治療の一貫で、沢山作ることによって恐怖心を親近感に変える、「サイコソマティックアート」と名付けられました。※psychosomatic(心身の)

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水玉旋風を巻き起こした!

美術という一つのジャンルにとらわれず、幅広い活動のなかで自己を表現するようになり、その一つが、「ハプニング」と名付けられたボディーペイントです。ボディーペイントは外で裸になり水玉を描くといったもので、米国でも公然わいせつ罪になるのかは分かりませんが、騒ぎになり警察沙汰は度々で、拘置所に入った経験もあるそうです。

ちょうどそのころ、ニューヨークでは若者の間でヒッピーブームが起き、「自然に回帰する」という主張のもとの乱交パーティーが度々あり、「ハプニング」はこういったヒッピーたちの支持をうけ、活動は時代の波にのります。

「ハプニング」と題して、外でイベントを行う以外にもスタジオを設けてボディペイント体験を開催したり、ミュージカルの企画や実行、ファッションブランドを立ち上げるなど、水玉革命がアメリカ及びヨーロッパで起こりました。

アメリカに渡って10年、前衛芸術家として数々の成功をおさめます。

草間さんにとって、一つの水玉を増殖させた水玉模様は無限を表しますが、水玉の形式や意味付けはどうでもよく、粒子、魂、命、地球、太陽、月、何でもいいけれど、水玉模様を描くことによって自己を消滅し、宇宙や自然に帰るという考えです。

ボディペイントを含む一連の活動はアメリカでは正しい評価を受けていましたが、日本では「国辱もの」というレッテルを貼られ、誤解と偏見で虚像が一人歩きし、家族との亀裂が生じます。

帰国後の日本での活動編

体調を崩し、一時的に日本に帰国し治療、静養したらニューヨークに戻る予定でしたが、視覚の問題や幻聴がよくならず、17年のアメリカ生活に終止符を打ち、日本で暮らすことになりました。

しかし帰国後、ニューヨークの生活と差が激しく、逆カルチャーショックを受け、病院に入院しながら、向かいにスタジオを構え、毎日往復しながら制作を行いました。朝の10時から夜の6時まで、会社員のように決まった時間スタジオで制作し、夜は執筆活動を行う、規則正しい生活をしたことで、膨大な作品が完成します。

帰国してからおよそ20年後の1993年に「ヴェネツィア・ビエンナーレ」に日本代表として参加が正式に決まり、ようやく草間さんが日本で認められたことを示すものだったと回想されています。

毎年、4~5箇所の国内外の美術館から個展の申込みがあり、新しい作品を次々と作り出さなければ間に合わない状態ですが、新しいアイデアは次々と湧き出てきて困らないそうです。

心も身体もボロボロ、それでも創り続けることについて、こう話されています。

100年後たった一人でも、自分を知っている人がいたら、その一人のために最高の芸術を創りつづけたい

引用は、著書「無限の網」からです。とても読みやすい文章で、アートを読んで感じられる素晴らしい著書です。是非、読んでみてください。

3月22日 草間彌生

きっかけ:

無限に感じるものは何ですか?

関連するページ:草間彌生美術館

草間彌生のパートナー?恋人!? ジョゼフ・コーネル

1903年12月24日~1972年12月29日 職業:アーティスト
出身:アメリカ

草間さんの親友でパートナーであったアーティストのジョゼフ・コーネルの作品がとても好きです。

テキスタイルデザイナーの父親、幼稚園の教諭の母親、4人兄弟の長男として生を受けます。
14歳のときに父親が亡くなり、ジョゼフが父親代わりになって、家族を支えました。

小児脳性麻痺を患った弟や母の介護をしながら、独学でアートを学び、発表し続けました。

代表作のアッサンブラージュの箱は、自宅で過ごしているジョゼフ自身が見ている光景にも見えます。母親との関係や着想になっているのは部屋のなかや身近なものなので、草間さんと類似し、ウマがあったのかな…と個人的に思いました。

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リース・ウィザースプーン出演の映画作品

1976年3月22日  職業:女優・映画プロデューサー
出身:アメリカ

代表作:

  • 『キューティ・ブロンド』シリーズ
  • 『グッド・ライ ~いちばん優しい嘘~』
  • 『わたしに会うまでの1600キロ』

3月22日 今日は何の日?365日のきっかけ

世界水の日

1992年の国連総会で決定した国際デーの一つです。

放送記念日

1925年3月22日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始まった日を記念して、日本放送協会が1943年に制定しました。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、3月22日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!