5月16日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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5月16日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

溝口健二監督の映画作品

1898年5月16日~1956年8月24日 職業:映画監督
出身:日本(東京都)

代表作:

  • 『雨月物語』
  • 『山椒大夫』
  • 『西鶴一代女』
  • 『赤線地帯』

戦中、戦後の日本映画界の三大巨匠(澤明監督、小津安二郎監督)の一人です。フランスの映画監督のジャン・ゴダール氏をはじめ、1950年代にフランスで起きた映画運動(ヌーヴェルヴァーグ)から活躍し始めた若手の映画監督などに影響を与えたといわれています。

父親は職人、3人兄弟の2番目(姉・弟)に生まれました。日露戦争の後、父親の事業が失敗し、盛岡の親戚の家で過ごしていた時期もあります。

15歳のときに浴衣の意匠を手掛ける図案屋に弟子入りをし、仕事の合間にスキルアップのため、洋画研究所に所属して洋画を学びました。研究所の近くにあった劇場でオペラを上演していたことから、舞台に使用する背景を研究所で依頼されたことから、手伝いをするうちに舞台などに興味を持ち、落語や講談、ロシア文学、純文学などに傾倒します。

19歳のときに姉のツテで、陶磁器会社のデザイン会社に入ることが決まりますが、陶器の絵柄には興味が持てなかったのか?新聞社の広報部の図案化に転職しますが、1年あまりで退職します。

紹介で知り合った俳優と親しくするうちに、撮影所に出入りする機会が多くなり、22歳のときに俳優を目指して撮影所に入社します。助監督の仕事を得て、キャリアを積み、女性映画の巨匠と名高いです。

不遇な境遇の女性を描いた背景には、3歳年上の姉の影響もあったのかもしれません。姉は、父親の事業を失敗したあと、お茶屋に奉公にでています。芸妓見習い(半玉)のときに、客の一人(松平忠正子爵)に見受けされ、のちに結婚をし、実家の生活を支えたといわれています。

セルフプロデュースの達人 女流画家 タマラ・ド・レンピッカ

アメリカの心理学者、アルバート・メラビアンは、「人の第一印象は会った瞬間の3~5秒で決まる」と1971年に提唱しました。これをメラビアンの法則といいます。たった5秒の間の人の仕草、コミュニケーションから、話の内容などの言語情報(Verbal)からの判断が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報(Vocal)が38%、見た目などの視覚情報(Visual)が55%という割合から、別名「3Vの法則」とも言います。

「人は見た目が9割」は本のタイトルだったと思いますが、3秒から5秒の間に挨拶や自己紹介の名前を言うか言わないかくらいですので、その判断はほぼ視覚情報に頼らざるを得ないということになりますかね?

容姿は自分で何とかできる部分と出来部分がありますが、服装や髪型、メイク、仕草、言葉使い、話の内容はコントロールできるようなものもあり、イメージ戦略やセルフプロデュースという言葉もよく聞かれるようになりました。

現代のように、セルフプロデュースが定着していなかった20世紀前半に活躍した女流画家のタマラ・ド・レンピッカの生涯から、第一印象は自分で演出できるかも?と思えるかもしれません。

画家のイメージと絵がリンクしないギャップ萌えも、イメージ戦略の一つだとは思いますが、レンピッカの場合は、女優のような風貌と斬新的でなんとなく荒木飛呂彦作コミック『ジョジョの奇妙な冒険』のようなタッチ、官能的な絵が見事にマッチしており、自分をどう魅せるか?その時代の女性が憧れる最先端の女性像を演出するプロでもありました。

タマラ・ド・レンピッカはどんな人?

1898年5月16日~1980年3月18日 職業:画家
出身:ポーランド

父親は弁護士、母親は上流階級の出身で、裕福な家庭に生まれました。13歳のときに祖母とイタリアを旅し、美術館等で絵画に触れる機会はあったようですが、幼少期から絵の勉強をしていたというわけではありません。

14歳、両親の離婚により、サンクトペテルブルクに住む叔母の家に預けられます。15歳のときに、オペラの観劇で一目惚れした美青年に猛アタックの末、16歳で結婚します。

17歳 ロシア革命が勃発、弁護士である夫が逮捕されてしまいます。レンピッカはスウェーデン領事の助けを借りて、夫を救出し夫婦でロシアから脱出します。しばらくは、持っていた宝石などを売りながら、ヨーロッパを転々とし、最終的にはフランスに落ち着きます。

生活するために画家になることを決意!?

19歳 娘が誕生し、持っていた宝石類を売って現金に換えて、生活するには無理があると思ったレンピッカは、画家になることを決意します。

画家として活躍している人から直接指導を受けたことがよかったのか、短期間で上達し、数年後にはサロンに出品するまでになります。絵が売れるようになり、生活が安定し始めると、流行のファッションを身にまとい、女性が羨むシンボルになるだけでなく、車を購入、アトリエを借りるなど、男性に依存しない独立した女性像をつくりあげていきました。

上流階級の人たちとの交流が増えたことで、知り合った伯爵がパトロンになってくれたおかげで、イタリアで初の個展を開催します。このときに発表したファッショナブルな肖像画が、上流階級の人たちにうけがよく肖像画の依頼が舞い込みます。また、レンピッカは自画像も多く残しており、車に乗っている「オートポートレート」は、当時のファッション雑誌の表紙にもなっています。


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話題性を利用する!?女性として生きる

レンピッカは両性愛者だったと言われています。文系サークルに所属する女性たちと親しく交際した、お付き合いした女性のヌードを描いて発表した、そういった行動は当時では珍しく話題性もありましたが、それが事実かどうかはよく分からないです。
絵が売れるための戦略のような気もして、演技だったかもしれませんし、夫との出会いもレンピッカの好みのタイプの男性、単純に美しいものが好きだったのかもしれません。

レンピッカの交流スキャンダル騒動から夫とはうまくいかなくなり、29歳で離婚します。画家としての活動にプラス、人との交流を優先するような生活だったため、娘の養育は母親任せであり、レンピッカと娘の関係は複雑だったようです。しかし、レンピッカが描いた肖像画のなかには、娘をモチーフにしたのではないかと言われているものも多くあり、心のなかでは気にかけていたのかもしれません。

その一方で、パトロンであった男爵から愛人の肖像画を描くように依頼されますが、描き終わるころには、レンピッカが愛人となり、男爵の正妻が亡くなったのを機に34歳のときに、男爵と再婚し男爵夫人になっており、母親として生きることよりも、女性として生きることを選んでいます。

その後もアメリカで精力的に作品を発表し続けますが、64歳で画家を引退し、夫の男爵がなくなったのを機に、所持品を売り払い、船で世界1周の旅をしたり、趣味で絵を描いていたようです。年をとるにつれ、全盛期ほどの傑作を描くことは出来ず、81歳で亡くなりました。

晩年の1970年代に回顧展が開催されたのがきっかけで、ジャック・ニコルソンやマドンナなどアメリカの芸能界で、コレクターが存在します。なんとなくですが、レンピッカとマドンナ、似てすよね?

5月16日 タラマ・ド・レンピッカ

きっかけ:

どう見られたいですか?

どう見られるかは自分で決めることができて、どんなふうに見られてもいいというのも自分で決めることができます。

ラテンアメリカ文学ブーム先駆け フアン・ルルフォ

1917年5月16日~1986年1月7日 職業:小説家・写真家
出身:メキシコ

代表作:

  • 『燃える平原』
  • 『ペドロ・パラモ』

ピアース・ブロスナン出演の映画作品

1953年5月16日  職業:俳優・映画プロデューサー
出身:アイルランド

代表作:

  • 『007』シリーズ 5代目ジェームズ・ボンド役
  • 『マンマ・ミーア!』
  • 『トーマス・クラウン・アフェアー』
  • 『ゴーストライター』

ミーガン・フォックス出演の映画作品

1986年5月16日  職業:女優・ファッションモデル
出身:アメリカ

代表作:

  • 『トランスフォーマー』シリーズ
  • 『彼女は夢見るドラマ・クイーン』
  • 『セレブ・ウォーズ 〜ニューヨークの恋に勝つルール〜』
  • 『40歳からの家族ケーカク』

5月16日 今日は何の日?365日のきっかけ

旅の日

松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立った日(旧暦元禄2年3月27日)にちなみ、1988年に日本旅のペンクラブが提唱しました。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、5月16日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!