6月7日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

6月7日ポール・ゴーギャン 誕生日

6月7日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

タヒチを描いたポール・ゴーギャンの作品

1848年6月7日〜1903年5月8日 職業:画家・仲買人
出身:フランス

ゴーギャンはポスト印象派の画家に分類されています。ゴーギャンが生きた時代の美術史の大まかな流れと代表的な画家は下記です。このなかで年齢が近いのは、5つ年下のゴッホ、7つ年上のルノワールです。

ロマン主義:

写実主義:

  • クールベ(1819-1877)仏
  • バルビゾン派 ミレー(1814-1875年)仏

印象派:

フランスを中心に写実主義、印象派が流行っていたとき、イギリスでは象徴主義が流行り、アーツ・クラフト運動が起きました。

象徴主義
ラファエル前派 ミレイ(1829-1896)英

アーツ&クラフツ運動:モリス(1834-1896)英

ポスト印象派:→ココ

アール・ヌーヴォー:ミュシャ(1860-1939)チェコ

ウィーン分離派 クリムト(1862-1918)オーストリア

フォーヴィスム:マティス(1869-1954)仏

表現主義:ムンク(1863-1944)ノルウェー

抽象表現

キュビスム:ピカソ(1881-1973)スペイン

エコール・ド・パリ:

  • ユトリロ(1883-1955)仏
  • 藤田嗣治(1886-1968)仏(出身:日本)
  • シャガール (1887-1985) 仏

 

ポール・ゴーギャンはどんな人?

1848年6月7日〜1903年5月8日 職業:画家・仲買人
出身:フランス

代表作:

  • 『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
  • 『タヒチの女』
  • 『説教のあとの風景』
  • 『黄色いキリスト』
  • 『死霊が見ている』
Paul Gaugui
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ゴーギャンの父親はジャーナリストでありましたが、ナポレオン3世のクーデターの際に失職し、一家は母方の縁者を頼り、ペルーにいくことになりました。航海中に父親が亡くなり、母、姉、ゴーギャンの3人は、4年間ペルーで過ごしています。

ゴーギャンが7歳のときに、父方の祖父を頼りフランスに戻りました。

13歳 海軍予備学校に進学しようと決心しますが、試験に失敗し、商船の水先人見習いとして航海にでました。19歳のときに母親が亡くなり、その訃報を姉からの手紙で知ったのはインドでした。翌年、兵役で海軍に入隊します。

10代でこの生活をしていたことが、太平洋に浮かぶ島への欲求につながっているように思います。この時代、生まれた土地を離れたことがないという人が大半のなか、世界中を回っているのは強みですよね?

 

証券マン&副業で儲ける

23歳 除隊し、母の知り合いの口利きにより、パリ証券取引所での職を得て、株式の仲買人として働きました。仕事の合間に、副業として絵画の売買を行っていたので、お金持ちでした。

25歳 2歳年下のデンマーク人女性と結婚します。(この女性との間には5人の子どもがいました)

この頃から、仕事の合間に絵を描くようになり、印象派の画家が集まるカフェや画廊に出入りして、作品を購入したり、交友して絵を一緒に描いたりしました。

28歳の頃、作品の一つがサロンで入選し、画家としても行けるかも!?と思ったゴーギャンは引っ越し、家の空き室をアトリエとして使うことにしました。

その生活は長くは続かず、34歳のときにパリの株式市場が大暴落したのを機に、本業の仕事も、副業の絵画の売買の仕事もうまくいかなくなり、収入が激減します。それがきっかけとなり、画業を本業にすることを決意し、11年勤めた仲買人の仕事を辞めます。

 

専業画家としては苦戦

絵描きとしてすぐに売れることはないと分かっていたようで、生活費がかからない田舎の方に引越しますが、食べることにも困り、すぐに妻の実家があるデンマークに引っ越します。

ゴーギャンは防水布の営業の仕事を始めましたが、デンマーク語という言葉の壁にも悩まされ、とにかくうまくいかず、妻がフランス語の講師をして、家計を支えました。

37歳 妻と子供たち4人はコペンハーゲンにとどまりましたが、息子一人だけ連れパリに戻ります。パリに戻っても、絵描きとして収入が得られるわけでもないので、複数の仕事をかけもち困窮した生活を送っていました。そんななか息子が病気にかかり、世話が出来ないと思ったゴーギャンは姉を頼り、息子を託します。

ゴーギャンは仕事の合間に印象派の展覧会を見てドガの手法や、時流行った画家の作品を真似たりして、描いていました。それが出来るのは、かなり器用な人だったんでしょうね。

39歳 パナマで絵を描いています。

 

ゴッホとの出会い&共同生活

何故?パナマなのかは分かりかねますが、パナマに滞在中に、ゴーギャンの資産はなくなり、破産しています。帰国後、描いた絵を画商で展示販売しているときに、買い付けに来たゴッホの弟テオ(グーピル商会で働いていた)と、ゴッホに出会います。2人は絵を見て感動し、テオは作品を購入し、裕福な顧客をゴーギャンに紹介しました。

ゴッホとゴーギャンは親しくなり、手紙のやりとりをしていました。

40歳 お金もなかったゴーギャンは、ゴッホと一緒に住むことに決めました。2人の共同生活は9週間で終了、ゴーギャンは出ていきました。ゴッホが左耳をカミソリで切り落とし、懇意にしていた娼婦に手渡したという事件も関係していると思います。

その後、2人は会うことはなかったようですが、手紙のやりとりは続けていたようです。

 

楽園タヒチ

43歳 ゴーギャンは困窮した生活に逃れたいという思いから、楽園=タヒチに行こうと考え、旅行資金をため、コペンハーゲンに住む妻と子供に挨拶し、タヒチに向かいました。

当時のタヒチは、植民地としてフランスの支配下におかれていたため、独自の文化は衰退し、ゴーギャンが思い描いていた楽園ではなかったようですが、その世界を描くことを決意し、生涯に2度タヒチに滞在し現地の様子を描いています。それがゴーギャンの代表作です。

タヒチで描いた絵を本国に送り、売れたお金を滞在費に宛てようとしたようですが、絵は評価されず、滞在資金がなくなった&体調不良で、帰国します。帰国後も、タヒチを題材に絵を描き続け、作品数が多くなると展覧会を開催し、ある程度評価され、数枚が高値で売れたようです。

帰国した際にミュシャ宅で世話になっており、ズボンを脱いでピアノを演奏する写真が残っています。よそ様の家で、そこまでリラックス出来るってすごいですよね。

叔父から相続された遺産もあり、一人だけだったら、何とか生活は出来たと思いますが、コペンハーゲンにいる妻は、女手一つで子供4人を育てていたので、妻との関係は悪くなります。結局、少額の養育費を支払い、一切の連絡はとらなかったようです。

本国では貧乏でも、タヒチの物価とは異なりますから、現地ではお手伝いさんが2人いる快適な暮らしでした。

2度のタヒチ滞在で、現地で2人の少女と関係をもちその間にも子供がいました。また、タヒチ島から北東に離れたマルキーズ諸島に渡り生活をしていた時期もあり、そこでも少女を妻に迎え、子供が生まれています。

 

晩年は体の不調に悩まされ、視力も低下し、絵を描くような余裕はなかったようです。55歳で亡くなりました。

 

後身へのゴーギャンの影響

「ありえない…最低」と思う人ですが、美術界に与えた影響は多大で、ボナール(1867-1947)などが属していたナビ派が誕生するきっかけになったのは、ゴーギャンの一言が影響していると言われています。また、ムンクやピカソも少なからず影響を受けています。

当時の美術界で「稚拙で子どもが描いたようなレベル、世界一下手」と揶揄されていた4つ年上のアンリ・ルソーの絵を高く評価していたのも、ゴーギャンです。ゴーギャンも美術教育は受けていなかったので、ルソーに似通うものを感じたのかもしれません。

 

6月7日ポール・ゴーギャン

 

きっかけ:

宇宙人と対談すると仮定して、質問を考えてみませんか?

 

ゴーギャンをテーマにした映画は2本あります。

『24』のキーファー・サザーランドがゴーギャンを演じた映画『シークレット・パラダイス』です。映画のタイトルは違うのに、『24』にしか見えないのが不思議です。

 

2018年公開 『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』

 

チャールズ・レニー・マッキントッシュの椅子や家具、建築

1868年6月7日~1928年12月10日 職業:建築家・画家
出身:スコットランド

アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人です。

代表する建築:

  • グラスゴー美術学校
  • 旧デイリー・レコード・ビルディング
  • ヒル・ハウス

モダンな椅子が今でも使われていますが、非常に座りにくそうです。

 

きっかけ:

新品種のバラに名前をつけるとしたら、何にしますか?
登録されているバラだけでも4万以上の品種が存在します。

イングリッシュローズに「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」に因んだ名前があり、園芸をされる方は、そちらの方がピンとくるかもしれません。因みに、ポール・ゴーギャンというバラもあります。

 

初ジェット機コアンダ製作、発明家アンリ・コアンダと国際空港

1886年6月7日〜1972年11月25日 職業:発明家
出身:ルーマニア

世界初のジェット機コアンダ=1910を製作した人物です。
ブカレストにあるアンリ・コアンダ空港はコアンダさんに因んでつけられました。

 

きっかけ:

飛行機雲を見たら、消えるまでどのくらいかかるのか?観察してみませんか?

飛行機雲はジェット機のエンジンから出る排気ガス中の水分、または翼の近傍の低圧部が原因となって発生する細長い線状の雲で、別名、航跡雲、英語ではcontrailコントレイルと呼ばれています。

晴れた日に飛行機雲を見ると何となく気持ちがよく、ラッキーな気分になります。雲がなかなか消えないときは、天気が悪くなる確率が高いですが、消えるまで見ていることがあまりないですよね?

 

著作権保護と拡散の両立は難しい歌手プリンス

1958年6月7日~2016年4月21日 職業:ミュージシャン
出身:アメリカ

アメリカのミュージシャン、シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ダンサー、俳優とマルチな活動をしていました。70年代後半から80年代に活躍し、多くのミュージシャンに影響を与えた存在として知られています。

音楽の著作権の保護について重要視し、ネットで流されてしまうことに憤りを感じていたようですが、アルバムにとらわれないカタチで、ネットを介して映像を配信していたようです。

 

きっかけ:

Web、SNS、動画、ラジオ、テレビ、新聞・雑誌などの媒体以外の方法で拡散する方法はありますか?

 

ルネサンス美術を参考にした漫画家 荒木飛呂彦

1960年6月7日  職業:漫画家
出身:日本(宮城県)

代表作:

  • 『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズ

NHKの日曜美術館にも出演されているのを見て、好きな画家の幅が広いなぁと思いました。私が見たのは「宮廷画家ベラスケス特集」でした。

荒木さんは、ルネサンス美術、なかでもミケランジェロが好きと公言されていますが、バロック美術のベラスケスや、だまし絵のエッシャーもお好きだそうです。因みに、ベラスケスは昨日がお誕生日でした。

 

アートをビジネス化 ダミアン・ハーストの作品

1965年6月7日  職業:現代美術家
出身:イギリス

現代美術界にヤング・ブリティッシュ・アーティストと呼ばれる流派を確立しました。不用品や動物を素材に使い、ショックを与えるコンセプチュアルアートを戦略にとったため、メディアに注目され、評価は賛否両論です。

死んだ動物をホルムアルデヒドによって保存したシリーズが有名ですが、「スポットペインティング」という版画作品などもあります。

作品の形態から、本人が直接制作していないため、作者と言えるのかが問題になることもありますが、アート活動をビジネスとして行い、アーティストが直接、オークションにかけて売るという方法を始めたことでも知られています。

 

きっかけ:

「希少性」「話題性」「創造性」この3つまたはこれ以外で、自分の強みになりそうなものは何ですか?

人からの評価を待つしかない従来の方法では、確かに音楽や芸術では食えないという概念はまだ強いと思います。アートとつけば、何をやってもいいとは思えませんが、すでに存在しているものに、違う価値をつける創造性は必要不可欠のようです。

 

女性ラッパー イギー・アゼリア

1990年6月7日  職業:ラッパー・シンガーソングライター・モデル
出身:オーストラリア

代表曲:

  • 『Problem ft. Iggy Azalea』
  • 『Fancy ft. Charli XCX』
  • 『Work』
  • 『Trouble ft. Jennifer Hudson』
  • 『Team』

 

 

6月7日 今日は何の日?365日のきっかけ

緑内障を考える日

語呂合せ「りょく(6)ない(7)しょう」緑内障の患者やその家族で作る「緑内障フレンド・ネットワーク」が制定しました。

むち打ち治療の日

語呂合せ「む(6)ちうちをな(7)おそう」むち打ち治療協会が制定しました。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、6月6日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!