9月28日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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9月28日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

問題児カラヴァッジョの作品に魅了された甘い人々

近年、フランス南部トゥールーズ近郊にある住宅でカラヴァッジオの作品『ホロフェルネスの首を斬るユディト』らしきものが見つかったと話題になりました。

家主は、雨漏りを調べるために屋根裏に上がったところを発見したそうですが、本物であれば150億円以上の価値があります。発見前と発見後ではいつも見ていた天井の見方が変わりそうですね。

描かれた年代は該当しても真似して描いたものかもしれないという疑いもあり、鑑定が続く間、国外持ち出し禁止となったというニュースでした。その後、本物だったかどうかはまだ発表されていません。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョはどんな人?

1571年9月28日~1610年7月18日 職業:画家

出身:イタリア

代表作:

  • 『果物籠を持つ少年』
  • 『果物籠』
  • 『バッカス』
  • 『聖マタイの召命』
  • 『ゴリアテの首を持つダビデ』
  • 『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』


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カラヴァッジョはミラノで誕生し、本名はミケランジェロ・メリージと言います。「カラヴァッジョまたはカラヴァッジオ」という名前で知られていますが、両親の出身地に由来するそうです。

ミラノでの修行を積んだ後、当時のローマで審美眼は随一と言われていたデルモンテ枢機卿に見出されたカラヴァッジョは、28歳の時に『聖マタイの召命』『聖マタイの殉教』を描き、一躍、画壇の寵児となりました。

貴族から大量の絵画制作が舞い込むと、ストレスのためか、もとからの気性か?喧嘩っ早い性格が災いして、自宅で暴れて拘置所に送られること数度、ローマ教皇から死刑宣告を受けることもありました。

カラヴォッジョの暮らしについてかかれた出版物にはこう書かれてあったそうです。

2週間、絵画制作に費やすと、その後1か月~2か月の間、剣を腰に下げながら町を練り歩き、舞踏会場や居酒屋で喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はあまりいなかった

出典:Wikipediaより

画学生を襲撃したり、居酒屋の店員に態度が悪いと暴行したり、警官に暴言を吐いたりするなど、数々のトラブルを起こしても、パトロンの庇護があっため、大目に見てもらえていました。

しかし、乱闘で若者を殺害してしまったため、殺人犯として指名手配がされ逃亡生活が始まります。

司法権がないナポリに逃げますが、隠れて生活していたわけでもなく、すでに有名画家として知られていたこともあり、ナポリの有力貴族の庇護を受け、絵の注文を受けて描いていたようです。ナポリでも成功をおさめたカラヴァッジョは、庇護を求めて、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の本拠地マルタ島へ渡ります。

才能が認められ、騎士団の公式な画家がいることは利益になると判断した団長は、カラヴァッジョを騎士団の騎士と迎え入れます。滞在中に、聖ヨハネ騎士団のサン・ジョヴァンニ大聖堂を飾る傑作『洗礼者ヨハネの斬首』や『アロフ・ド・ウィニャクールと小姓』を描きました。

騎士に任命されてから1カ月でまた問題を起こし、騎士の一人に重傷を負わせた罪で騎士団から除名され投獄されますが、脱獄しマルタ島を離れます。

マルタ島を離れたあと、古い知り合いを頼り、シチリア島へ逃げます。逃亡先でも、多額な謝礼がつく絵の注文を受けていたため、逃亡というよりも、バカンスに近かったようです。

ローマでパトロンであった有力者が奔走してくれたおかげで、「ローマ教皇からお許しがでたので戻ってこい」という情報を得ますが、ローマに戻る道中で亡くなっています。

熱病で死亡説もありますが、絵画の顔料に含まれている鉛中毒であった可能性もあるそうです。鉛中毒は画家の職業病でした。

性格に問題があったカラヴァッジョですが、作品は、同世代、後世の画家に影響を与え続け、ヨーロッパ各地でカラヴァッジョの手法、明暗を強烈なコントラストで描く「キアロスクーロ」を真似た画家たちもいました。カラヴァッジョがいなければ、ルーベンス、レンブラント、ベラスケスも誕生しなかったわけです。

2010年はカラヴァッジョ没後400年で、映画『カラヴァッジョ~天才画家の光と影~』が公開されました。400年前に生きた人の生涯を忠実に描きだすほどの資料が残っているところがすごいです。

9月28日カラヴァッジョ

きっかけ:

気分に応じて選んでみましょう。

カラヴァッジョが度々起こした暴力事件は、描いていた宗教画、暴力のシーンに影響されてしまったではないかと思いました。悲しい曲を聴いていると気分が暗くなったり、怖い映画を見るとトイレやお風呂に行くのが怖くなって後ろに誰かいるんじゃないかとビクビクするのと同じです。

多趣味なジョサイア・コンドルの作品 生涯と子孫

1852年9月28日~1920年6月21日 職業:建築家・画家
出身:イギリス

代表作:

  • 鹿鳴館 ※現存せず
  • ニコライ堂 ※実施設計のみ
  • 岩崎久弥茅町本邸洋館
  • 岩崎久弥茅町本邸撞球室
  • 綱町三井倶楽部
  • 島津家袖ヶ崎邸
  • 旧古河虎之助邸

10歳のときにロンドン万国博覧会で見た日本美術に興味を抱いたそうです。

父親が12歳で急逝し、奨学金を得て、商業学校に3年通いますが、建築家を志し、建築事務所で働きながら、ロンドン大学で建築を学びます。卒業後、建築事務所に入りキャリアを積みます。

日本政府と5年間の契約を結び、お雇い外国人として来日すると、現:東京大学の建築学科の教授として辰野金吾など、若手の建築家を育成し、明治時代の建築界の基礎を築きました。

私生活では日本女性(くめ)を妻とし、好奇心が強く、日本舞踊や華道、落語といった日本文化に親しみ、日本画の河鍋暁斎に入門し、毎週土曜日に絵の稽古に励みました。暁斎から「暁英または暁瑛」の号を授かり、暁斎の臨終にも立ち会った人として知られています。
最後は麻布の自宅で亡くなり、妻と一緒に護国寺に埋葬されました。

コンドルは華道を学び、英語で、生け花の本を書いた最初の人でもあります。紹介するために、自分で絵を描いたようですが、生け花が置かれた部屋の空気感まで伝わり、素晴らしいです。

コンドルは、くめと結婚する前に芸者との間にもうけた娘、ヘレンがいました。ヘレンは日本で教育を受け、ベルギーに4年間留学し、帰国の船で出会ったスウェーデン海軍士官と結婚します。士官の親戚が経営するタイの電力会社やゴム農園、マレーシアのヤシ油農園の経営を手伝うために、マレーシアで暮らし6人の子を供育てたそうです。

コンドルが死亡したことを知り、一度帰郷していますが、それ以降日本に戻ることはありませんでした。また幼い頃に、コンドルとともに河鍋暁斎に日本画を習っていたこともあったそうです。コンドルが亡くなった際に、収集していた暁斎の作品や日本美術を持ち帰り、ヨーロッパで売却しています。

この時代に女性で留学した人も少ない上に、船の上で出会った人と結婚してマレーシアに移住、アジアとご縁があり、映画みたいなすごい話だと思いました。マレーシアにジョサイア・コンドルと、日本人の血を引き継ぐ子孫がいたというわけですね。

「ジョサイア・コンドル」で画像検索すると、コンドル、くめ、ヘレン3人で撮った写真がでてきますが、ヘレンは美人です。

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9月28日ジョサイア・コンドル

きっかけ:

家のなかの隠れたお宝を探してみよう。

9月28日 今日は何の日?365日のきっかけ

パソコン記念日

1979年9月28日にNECがパソコンブームの火付け役となったPC-8001を発売したことに由来するそうです。

一番最初に買ったパソコンはいつですか?メーカーはどこでしたか?

最初に買ったパソコンで何をしましたか?

パソコンに関連して思い出した映画は、「ユー・ガット・メール」です。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、本日誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!