10月25日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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10月25日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

『美しく青きドナウ』ヨハン・シュトラウス2世、父親との確執

1825年10月25日~1899年6月3日 職業:作曲家・指揮者
出身:オーストリア

ワルツ王、オペレッタの王と呼ばれている作曲家です。一族は音楽家を多数輩出しています。ですが、同じシュトラウスでもリヒャルト・シュトラウスは血縁関係が全くありません。

代表作:

  • 『美しく青きドナウ』
  • 『春の声』
  • 『南国のバラ』
  • 『皇帝円舞曲』
  • 『オペレッタ こうもり』
  • 『ピチカート・ポルカ』

※ポルカ…チェコの民族舞曲、速い2拍子のリズムが特徴

食べていくのが難しい音楽家にはなって欲しくないと音楽に触れさせないようにする父親、音楽家になってからはライバルとして息子を妨害する父親…うーん悩ましいです。
父親のシュトラウス1世は若い愛人をつくり、生活費を一切入れず家庭を顧みなかったために、ヨハンが家族を養っていました。

踊ることは苦手だったようですが、作曲したワルツはよく耳にするものばかりです。

同世代で同じ時期に活躍したブラームスとは仲の良いお友達でした。

ピアノを弾くことは許されていましたが、音楽家に憧れるヨハンは、父親のようにヴァイオリンも弾きたかったので、8歳のときに同じアパートに住む14歳の少女と近所に住む少年から、授業料をもらいピアノを教えていました。

そして貯めたお金をもとにヴァイオリンを購入したヨハンは、鏡の前に立って、父親の真似をして練習を毎日していました。ところがその練習が見つかってしまい、激怒した父親はヴァイオリンを奪い叩き壊してしまったというエピソードがWikipediaにありましたが、真実かどうかは定かではありません。

真実かは分かりかねますが、音楽一家に生まれても、すごく反対されながら音楽家になったということが分かります。

10月25日ヨハン・シュトラウス2世

きっかけ:

反対されてもやり続けたことはありますか?

ジョルジュ・ビゼーの『カルメン』は友人と合作だった!?

1838年10月25日~1875年6月3日 職業:作曲家

出身:フランス

父親は声楽家で教師、母はピアニストと音楽一家に生まれ、幼い頃から音楽に親しんでいました。

記憶力が抜群であったため、リストの新作を一度聴いただけで演奏したことにリストを驚かせたというエピソードがありました。

代表曲:

  • オペラ『カルメン』
  • オペラ『真珠採り』
  • オペラ『美しきパースの娘』
  • 劇付随音楽『アルルの女』

オペラ『カルメン』は、プロスペル・メリメの小説『カルメン』がもとになっており、オペラ版の作曲がビゼーに依頼されました。

しかし、持病の慢性的な扁桃炎から体調不良になり、療養中に心臓発作を起こし、37歳で急死してしまいます。

未完成だった『カルメン』は、作曲家で友人のエルネスト・ギローが完成させました。『カルメン』と言えば、ビゼー作曲で知られていますが、友人のギローがいなかったら、完成はしていなかった幻の曲だったかもしれません。

10月25日ジョルジュ・ビゼ

きっかけ:

自分の仕事を託せる友人はいますか?

マンガでオペラという発想が面白いですね。これを読みながら、音楽を聴いたらどうなるのかな…?

出会った人やモノに影響を受けて画風が変わるパブロ・ピカソ

1881年10月25日~1973年4月8日 職業:画家・彫刻家
出身:スペイン

ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られています。

生涯に創作した油絵・素描1万3500点、版画10万点、挿絵3万4000点、彫刻・陶器300点、およそ14万7800点を残したことで、ギネスブックに登録されています。

ピカソが生まれた町は鳩が多く、家にも鳩小屋があったことから、鳩のモチーフを好んで描いていました。キュビズムの創始者であるジョルジュ・ブラックも鳩のモチーフを描いており、平和の象徴ではありますが、ピカソが影響しているのかもしれません。

代表作:

  • 『人生』
  • 『パイプを持つ少年』
  • 『ゲルニカ』
  • 『泣く女』
  • 『アヴィニョンの娘たち』

父親が画家で、幼少の頃より父親の真似をして絵を描いていたようです。「ママ」という言葉よりも先にスペイン語で「鉛筆」という意味の「ピス」が話せたというエピソードがあります。

父親がピカソの才能に気付き、絵の先生となり教えますが、地元に美術学校がなかったこと、学校に入れるほど経済的に余裕がなかったため、学校で美術を教えるかわりに授業料を払わないでピカソが学べるように取り計らい、一家で転居します。

美術以外の数学、国語などの学科はほぼ出来ず、卒業するには厳しい成績だったようですが、多少出来ないことがあっても、絵描きとしては困らないのではないかという結論に至り、卒業させてもらえたようです。

出会った女性や人やモノで、目まぐるしく画風が変わります。青の時代、バラ色の時代、アフリカ彫刻時代、キュビスム時代(そのなかでもちょっとずつ違う)シュルレアリスムなど、画風については、長くなるのでここでは触れません。

10月25日パブロ・ピカソ

きっかけ:

球、円柱、円すいを使って絵を描いてみよう。

ピカソは、ポール・セザンヌの絵を見てキュビスムのヒントを得ています。

土門拳 名言「写真は肉眼を超える。」

1909年10月25日~1990年9月15日 職業:写真家・文筆家
出身:日本(山形県)

昭和を代表する写真家で、徹底したリアリズムを追及した報道写真や、寺院仏像など日本の伝統文化を独特の視点で切り取った作品を発表しました。

中学生のときは画家になりたかったようです。家の経済事情で、中学を中退して働かなければいけなかったようですが、成績優秀のため授業料が免除され卒業し、通信省倉庫の日雇いや弁護士の住み込みの書生など職を転々とします。このとき、画家になることを諦めます。

23歳のときに農民運動に参加したことで、検挙され、拘束されます。24歳のときに母親の勧めで、遠縁の親戚が写真家であったため、内弟子になり報道カメラマンを志すようになったのが、写真家としてスタートでした。

きっかけ:

助言された通りにしてみよう。

関連するページ:土門拳記念館

暮らしの手帖初代編集長 花森安治には師がいた

1911年10月25日~1978年1月14日
職業:編集者・グラフィックデザイナー・ジャーナリスト・コピーライター
出身:日本(東京都)

2016年前期のNHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』は、戦後、女性のための雑誌「暮らしの手帖」を創刊した大橋三姉妹の奮闘記で、編集長:花森安治(花山伊佐次)を唐沢敏明さんが演じられました。唐沢さんより星野源さんの方がそっくりです。

現:東京大学美学美術史学科に入学し、在学中より、画家の佐野繁次郎に師事し、広告制作に必要な、コピー、手書き文字、挿絵、文字の組み方、色彩感覚を身につけます。この偉大な師匠がいなければ、花森スタイルは生まれていなかったはずです。

暮らしの手帖で30年間、表紙画、レイアウト、装丁、記事で扱う題材、服飾のデザインなど幅広い分野で活躍しました。

10月25日花森安治

きっかけ:

いいなと思う手書き文字を真似してみよう。

関連するページ:暮らしの手帖社

画家 香月泰男のカワイイおもちゃ

1911年10月25日~1974年3月8日 職業:画家
出身:日本(山口県)

山口の高校を卒業してから、上京して川端美術学校を経て美術学校に入学します。卒業後、北海道の中学校で美術教師に着任し、その後、山口県立高校に転任します。太平洋戦争で召集されシベリアに抑留、その体験を描いたシベリア抑留シリーズが、代表作です。

テーマがが明るいものではないので、油絵は暗い作品が多いですが、版画は花森安治風でほっこり系、針金や要らないものを再利用してつくった子供のためのおもちゃが可愛いです。

きっかけ:

再利用しておもちゃを作ってみよう。

関連するページ:山口県長門市 香月泰男美術館

10月25日 今日は何の日?365日のきっかけ

民間航空記念日

1951年10月25日、戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が一番機の「ど星号」が東京 ~大阪~福岡間の運航を開始したことを記念した日です。

一番最初に飛行機に乗ったのはいつですか?どこに行くときに乗りましたか?

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、本日誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!