12月15日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

12月15日谷川俊太郎 誕生日&何の日?

12月15日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

パリのシンボル エッフェル塔をデザインしたのは技師

エッフェル塔はパリのシンボルですよね?

1871年にフランスは戦いに敗れ、アルザス・ロレーヌ地方が没収されます。敗戦から立ち上がったということを世界に示すため、フランス革命から100周年を記念して1889年に開催されたパリ万博に、そのシンボルとなる建造物が建てられました。それがエッフェル塔です。

高さおよそ300m、当時は世界でも最も高い建造物でした。「エッフェル塔」という名前はデザインしたギュスターブ・エッフェルに因みます。

 

ギュスターヴ・エッフェルはどんな人?

1832年12月15日~1923年12月27日 職業:技師・建設業者
出身:フランス

ブルゴーニュの田舎町に生まれ、軍人の父親は大変教育熱心で知られていました。工業高校で学び、23歳のときに鉄道関係の資材を扱う会社に就職し、現場で、鉄を使う橋や駅の構造や設計を学び、建造物に関してはトップクラスというレベルに成長します。産業が発展していく過程で当時、鉄道建設は時代の最先端の仕事でした。

エッフェルは、新しい工法を生みだし次々と大工事を成し遂げていっていたので、その仕事ぶりを聞きつけ、マンハッタンの自由の女神像の鉄骨設計を任されました。54歳のときにパリのシンボルの話が舞い込んできます。

前代未聞の建物の公募に提案された案は107件、最終候補に残ったのはエッフェルがだした案を含む3件でした。最終的にエッフェルの案が採用されますが、次々と問題が浮上します。

 

まず建設候補地だった土地は地盤に問題があり現在のセーヌ川をはさんだ地域になります。これに伴い景観が壊れるという建設反対の嘆願書がだされ、論争が繰り広げられました。

先導したのは、アレクサンドル・デゥマやモーパッサンなどの著名な作家や芸術家などの文化人でした。ですが、反対派の意見を聞いている余裕はありませんでした。万博開催まで3年を切っていました。

 

大反対していた文化人がいた一方で、魅了されていた人たちもいます。

  • ジャポニズムに影響を受けたアンリ・リヴィエールの『エッフェル塔三十六景』
  • 点描で有名なスーラの『エッフェル塔』(亡くなる2年前に描かれた)
  • 抽象絵画の先駆者ロベール・ドローネーの『エッフェル塔』
  • 詩人ギヨーム・アポリネールの『エッフェル塔のカリグラム』

 


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国をあげてのイベントにもかかわらず、政府から交付された資金は総工費の四分の一、残りはエッフェルが金策したと言われています。(開館して20年、エッフェル塔の入場料はエッフェルが工面した建設費の返済に充てられました)

大反対していた人たちもパリ万博が開催されると、エッフェル塔に対する批判は消え、会期中200万人が来場しました。そんなに人気だったにも関わらず、20年で取り壊すという協定をエッフェルは結んでいたので、電波塔として再建計画がだされたときに、猛反対したのはエッフェル自身でした。

勿体ないので、残しましょうという結論に至り今に至ります。エッフェル塔の最上階にはエッフェルが使っていた研究室があり、その部屋は現在、蝋人形が飾られている部屋が該当するようです。

 

きっかけ:

エッフェル塔をモチーフにして何か作ってみましょう。

 

エスペラント語は様々な民族が暮らす地域の救済言語!?

ルドヴィコ・ザメンホフはどんな人?

1859年12月15日~1917年4月14日 職業:眼科医・言語学者
出身:ポーランド

エスペラント語の創案者です。

 

ザメンホフが生まれたポーランド北東部は、ロシカ領であったため、様々な民族が言語ごとに集まって分断されており、言語の違いから偏見や不和が起きていました。

中学校で、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語、英語を習った際に、人口言語の構想が出来たようです。20歳の頃には、エスペラント語につながる言語を完成させており、本を出版しようと試みますが断念します。医学の道に進み、眼科医として患者の治療を行う傍らに、エスペラント語を開発していきました。

6月12日がエスペラント語の日として制定されています。

 

近代都市ブラジリアをつくった建築家 オスカー・ニーマイヤー

Googleがカナダのトロント南東部のある地区を未来都市として再開発しようとしています。現在、Googleのカナダ本社はトロントのダウンタウンにあり、それを移転させることによって、会社の周りに飲食店が出来て、その周りに住宅地が出来て、学校が出来てという風に、都市をつくっていくという試みです。

オスカー・ニーマイヤーはどんな人?

1907年12月15日~2012年12月5日 職業:建築家
出身:ブラジル

オスカー・ニーマイヤーは建築家として、ブラジルの首都ブラジリアの建造物を丸ごと作りあげるということをした人です。

 

ブラジルの首都はリオデジャネイロと記憶していた人も多いと思いますが、1960年くらいから国家プロジェクトとして首都を移転させるために、コンペを行い、選ばれたニーマイヤーによって、国会議事堂などの政府機関や大聖堂、美術館、劇場などが建設されました。建築された建造物は、近代都市として1987年に初の世界遺産に登録されました。

 

 

画家として再出発した いわさきちひろの決意

いささきちひろはどんな人?

1918年12月15日~1974年8月8日 職業:画家・絵本作家
出身:日本(福井県)

「子どもの幸せと平和」をテーマとした作品で知られています。

 

幼い頃から絵を描くのが好きで、14歳のときに母親の勧めで洋画家の元で、デッサンや油絵を習い、美術学校に進学することを希望していましたが、最終的には洋裁学校に入学し、書を習い始めました。

ちひろは3人姉妹の長女だったことから、婿養子をとり跡を継ぐことになり、好意をもっていない相手と結婚したことを非常に後悔しています。夫の仕事の都合で満州に行きますが、僅か1年で夫が自殺し帰国、二度と結婚はしないと心に決めます。

再度、書を習い始め、先生から「絵は無理でも書であれば自立できる」と励まされ書家を目指したそうです。

 

絵を再び描くようになったきっかけは、第二次世界大戦中、母親の実家である長野県松本市に疎開した際に、つけていた日記のなかで描かれたスケッチだったようです。戦後、27歳のときに新聞社で記者として働きながら、洋画家に師事してデッサンを学び、この頃から絵の仕事を手掛けるようになります、紙芝居「お母さんの話」の仕事をしたことを機に画家として独立することを決めます。

 

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31歳のときに8歳と年下の男性と出会い結婚し、弁護士を目指す夫を、絵の仕事をしながら支え、翌年こどもを出産しますが、絵を描きながら借間での子育ては難しく、安曇野に移住していた両親に子供を預けます。定期的に安曇野に10時間かけて通うのは、体力的にも時間も大変だったと思います。

翌年、夫が司法試験に合格し、司法修習生となり、東京練馬区の妹の一家の隣に家を建て、家族で暮らせるようになりました。

現在は、ちひろ美術館として利用されています。

 

以前、ちひろ美術館で見た言葉です。

間違えてもいいから1本の線に責任をもつこと

絵を描く人は、1本の線にも責任をもつのか~すごいなぁと思いました。

 

関連するページ:

東京 ちひろ美術館
長野県安曇野 安曇野ちひろ美術館

 

 

86歳の詩人 谷川俊太郎の著書代表作「詩人なんて呼ばないで」

「谷川俊太郎展」が、東京オペラシティ アートギャラリーで2018年1月13日から3月25日まで開催されます。展覧会では、新作の詩を音楽家・小山田圭吾(コーネリアス)とインターフェイスデザイナー・中村勇吾(tha ltd.)とのコラボレーションも発表される予定です。

 

谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)さんはどんな人?

1931年12月15日  職業:詩人・脚本家・絵本作家
出身:日本(東京都)

近年では、詩を釣るiPhoneアプリや、 郵便で詩を送る『ポエメール』など、 詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦していらっしゃるそうです。

著作代表作:

  • 『詩人なんて呼ばれて』
  • 『生きる』
  • 『かないくん (ほぼにちの絵本)』
  • 『すき好きノート』
  • 詩集『私』

 

谷川さんについて知りたい方はこちらの記事がオススメです
「詩はくだらないもの」詩人・谷川俊太郎が切り開いた詩の世界

言葉には意味だけではなく、音があるし、色もあるし、なにかイメージもあるはずなんです。

 

 

テレビの取材番組で何度も「たにかわです」とおっしゃっていたことに、あれ?濁らないの?「たにがわさん」だと思っていたので、それが非常に驚きました。たにがわさんではなく、たにかわさんです。濁りません。

 

12月15日谷川俊太郎

 

きっかけ:

詩を書いてみましょう。

 

関連するページ:谷川俊太郎.com

 

 

 

12月15日 今日は何の日?365日のきっかけ

年賀郵便特別扱い開始

12月15日から12月25日までの間に年賀状を投函すると、翌年の1月1日に配達されます。

観光バス記念日

1925年12月15日、 東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始されました。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、12月15日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!