12月16日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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12月16日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、今日一日ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

難聴+体調が悪くてもベートーヴェンは音楽家になる運命

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはどんな人?

1770年12月16日~1827年3月26日 職業:作曲家
出身:ドイツ

ドイツを代表する三代作曲家の一人です。J.S.バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの頭文字Bです。

ベートーヴェン家は宮廷に仕える音楽家で、父親もテノール歌手でした。しかし父親は酒浸りで稼ぎを使ってしまうことから、生活は常に困窮していました。早くから父親の音楽スパルタ教育によって、ルートヴィッヒは音楽そのものを嫌悪していたようです。

16歳になったルートヴィッヒは、ずっと憧れていたモーツァルトに弟子入りをお願いしようと訪問しますが、最愛の母親の危篤の知らせにすぐに故郷に戻ります。ほどなくして、母親は亡くなり、アルコール依存症で失職してしまった父親や、幼い兄弟のために、一家の大黒柱になって身を粉にして働かなければなりませんでした。

ルートヴィッヒが21歳のときにモーツァルトが亡くなり、弟子入りは果たせませんでしたが、22歳のときに偶然、町にハイドンが立ち寄った際に才能が認められ弟子入りが許されます。それからはピアノの即興演奏の名手として広く知られるようになります。

20代後半から難聴が悪化し、音楽家として聴力を徐々に失うという絶望感から這い上がり、作曲を続けました。

40歳の頃にはほぼ聞こえなくなり、さらに持病の腹痛や下痢に苦しめられ、苦悩するなかで交響曲やピアノ・ソナタなどを多数、書き上げています。

ベートーヴェンは体調が悪いことも多く、作曲に夢中で服装に無頓着であったことから、変わり者のように当時から言われていたようです。

エピソードのなかで面白いと思ったものは、潔癖症で手を執拗に洗うことが多かったようですが、コーヒー豆を60粒数えて挽いていたという話です。これは作曲する前にコーヒーを入れて飲むという習慣ですが、集中する前の儀式?ルーティンだと思いました。

12月16日ベートーヴェン

きっかけ:

集中する前のルーティン何かありますか?

ジェーン・オースティンの新10ポンド紙幣の顔に

2017年はオースティン没後200年にあたり、新しい10ポンド札のデザインに
オースティンの肖像が決まりました。オースティンは処女作をだす際に出版社から10ポンドの前金を受け取ったことでも知られています。

ジェーン・オースティンはどんな人?

1775年12月16日~1817年7月18日 職業:小説家
出身:イングランド

代表作:

  • 『高慢と偏見』
  • 『エマ』
  • 『説得』
  • 『分別と多感』

ジェーン・オースティンについては知りたい方は、こちらの記事がとてもオススメです。

父親は牧師で、8人兄弟の7番目に生まれ、結婚するはずだった人が亡くなり、不幸が色々重なり、執筆することで家庭を支え、結婚した兄弟の家族と暮らし、姪や甥たちの世話をしたりして、生涯独身を貫いた作家です。

200年以上前の小説でも、テーマが現代と変わらず、いつの時代も女性にとって「結婚」というキーワードがつきもので、話に共感したり、しなかったりしますが、自分がやりたいことを貫けた作家人生はとても素晴らしくて、お札の顔ということに納得します。

『ブリジット・ジョーンズの日記』は、現代版『高慢と偏見』のパロディ作品です。

ザッハトルテはただのケーキではない特別な菓子

フランツ・ザッハーはどんな人?

1816年12月19日~1907年3月11日 職業:料理人
出身:オーストリア

菓子ザッハトルテの考案者です。

ザッハはオーストリアの政治家のシェフ見習いとして仕えていました。

ある日、主人から「ウィーン会議のために来る客人のために特別な菓子を作れ」と依頼されますが、最悪なことにシェフは体調が悪く、見習い2年目の16歳であったザッハは、シェフの替わりにお菓子を作ることになりました。このときに作ったのが、「ザッハトルテ」です。

料理修行を終えたザッハは、レストランの料理長やドナウ川のウィーンとブダペストの間をつなぐ蒸気船のシェフとしても働きました。

ウィーンに戻り、お惣菜を売るお店(デリカテッセン)を開業し、そこで自分が考えたザッハトルテを販売しそれが好評になります。息子がホテルザッハを開業し、そこでしか食べられない門外不出のお菓子「ザッハトルテ」は世界的に知られるようになりました。

ホテルの経営が一時的に上手くいなくなり、老舗洋菓子店「デメル」に援助を求めます。その見返りとして門外不出の「ザッハトルテ」のレシピの権利を買い取ったデメルでもザッハトルテを作ることが決まりました。

しかしデメルの経営者の代が変わった際に、秘伝のはずのレシピが料理本に掲載されるという事件が起きたことをきっかけに、7年に及ぶ「ザッハトルテ戦争」が起きました。最終的には、「本家ザッハトルテ」「デメルのザッハトルテ」というカタチで提供することで終結します。

レシピは拡散され、今ではネットでもレシピが見られる定番なお菓子になりましたが、数々の歴史の一幕にこのお菓子は遭遇し、悩む人の心や胃袋を満たしていたかもしれないと思うと特別なお菓子です。

参考レシピ:グレーテルのかまど「皇妃エリザベートのザッハトルテ」

きっかけ:

これを食べると元気になるというものはありますか?

カンディンスキーは30歳で画家を目指し極限に到達した

2017年Bunkamuraで「オットー・ネーベル展」が開催されました。オットー・ネーベルはバウハウスで、カンディンスキーやクレーに出会い、交友を続けていました。2019年はバウハウス開校100周年を迎えるため、バウハウスに関わりのある画家やデザイナーの展覧会が増えそうです。

バウハウスって何?

1919年に設立されたドイツの美術学校です。ドイツのワイマールで運営していたときに、ナチスから弾圧されて一時、閉校してしまいますが、バウハウスで指導した人(ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなど)、教育を受けた人は、近代のアートやデザインの礎を築き、その後のデザイナーに大きな影響を与えました。

ワシリー・カンディンスキーはどんな人?

1866年12月16日~1944年12月13日 職業:画家・美術評論家
出身:ロシア

モスクワで生まれ、大学では法律と政治経済学を学んでいました。卒業後は旅をし、色々なものを見たり聴いたりしていたようです。フランス印象派展でモネの『積藁』という絵に感激し、30歳のときに画家を目指して、ミュンヘンで絵の勉強を始めます。

象徴主義の先生に師事しますが、14年後には抽象画を手掛けています。その間の画風がどんどん変わっていく様子は絵を見ると分かります。


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52歳のときに故郷モスクワに戻ります。当時のソ連は前衛芸術を認めていましたが、政権が変り、前衛芸術が軽視され始めると、居心地の悪さを感じたカンディンスキーはドイツに戻ります。

ちょうど、バウハウスが開校したばかりで、指導者としてナチスドイツによって閉鎖されるまで、10年間バウハウスで教べんをとりました。

ドイツからフランスに逃げますが、ナチスがフランスを占領し、芸術家たちはフランスを離れ、アメリカに移住しているケースが多かったなか、カンディンスキーは最後までフランスに留まりました。ナチス占領下のフランスでは作品の展示は禁止されていたので、晩年は作品を発表することは出来なかったようです。

12月16日ワシリー・カンディンスキー

きっかけ:

好きな絵を鑑賞するときに合いそうな曲を見つけてみよう。

カンディンスキーの絵を見ると、音楽を聴いているような気持ちになる方が多いと思います。それは、カンディンスキーが作曲するように絵を描くことが出来るのではないか?特に意味のないカタチや色の組み合わせで、絵が成り立つのではないかと考えたからです。

アーサー・C・クラーク定義「三法則」は処方箋

1917年12月16日~2008年3月19日 職業:小説家・科学解説者
出身:イギリス

代表作:

  • 『2001年宇宙の旅』
  • 『幼年期の終り』
  • 『渇きの海』
  • 『最終定理』

第二次世界大戦中にイギリス空軍の将校として、電波探知法やレーダーの開発に取り組んだことがきっかけで、戦後に大学に入学し物理学と数学を学びます。

戦前からファンタジー小説を手掛けていましたが、作家として活動を始めたのは戦後に書いた短編小説が雑誌に掲載され、その作品が好評だったことがきっかけだったようです。大学で学びながら、雑誌の編集助手として働き、1951年以降(34歳から)専業作家として活躍を始めました。

クラークが設けたガイドライン、名言のような定義は、クラークの三法則とも言われています。自身の化学の見解ですが、これは何でも当てはまることで的を得ています。

1.高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。

2.可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。

3.十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。

12月16日 今日は何の日?365日のきっかけ

電話創業の日

1890年(明治23年)12月16日に、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話が開通したことに由来します。

紙の記念日

1875年12月16日、東京・王子の抄紙会社(後の王子製紙)の工場で営業運転が開始されたことに由来します。

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、12月16日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!