「365日のきっかけ」のコンテンツ制作と「きっかけ作家」と名乗り始めたきっかけ

365日のきっかけ こと

 

前回の「旅するマッチ箱日記」をはじめたきっかけの続きで、「365日のきっかけ」というコンテンツを作り始めたきっかけと、「きっかけ作家」と名乗ることに決めた経緯です。

 

好きを軸にしない!私は興味ないくらいがちょうどよかった

いざ、好きなことをすればいいんだよ?自分の好きなものを描けばいいんだよ?と言われても、何を描いていいのか戸惑い、そもそも自分の好きなこと、ものって何だろう?ふと浮かんだことやものは自分にとって、これがなければ生きられないというほど大切なものなのか?疑いたくなりました。

 

それは大事にしていたもの、好きだったことが無意味に感じ、それよりも大切なことがあったのに…気づけなかったと後悔している個人的な出来ごとが関係していますが、その話は今回は割愛します。

 

全く描けない人が手探りで始めた、やることも決まっていないWebコンテンツに掲載する絵、文章を補ってくれる「伝わる絵」が描けるようになりたいという、かなり漠然とした目標をつくり、創作教室に通い始めました。

 

反対?アプローチを変えてはじめて見える視点

教室に通い始めても、あまりにも漠然とした目標のせいか、何から取り組んでいいのか分からない、なかなか手が動かない私に先生が教えてくださったのが、『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』という本でした。

さっそく読んでみると、描けない人が描くイラストが魅力的で、伝わらなければ、第三者が文字で補えばいいという、私がしたいことの反対のアプローチが新鮮に感じました。

 

また日々のトレーニングとして先生がススメて下さったのが「自画像」でした。誰かを描いて誰かを不快にさせてしまうこともないし、好きや嫌いの感情がない自分の顔をどう描いても、誰かに迷惑をかけるわけでもないので、取り組みやすかったです。1日5分~10分くらいで取り組めるのが気楽で、15か月くらい続けられました。

 

ほぼ毎日描くようになった半年後の2017年3月、4月の教室のテーマが「私のスター」でした。お題を聞いたときに思ったのは、「芸能人、歌手、著名人、スター?全く興味ないよ〜誰を描けばいいのか…」そんな感じでした。

数週間後、普段だったら全く気にもとめない、使っている手帳(一日1ページの手帳)の端に、その日の誕生日の有名人が記載されていることにふと気づきました。

 

365日のきっかけ

手帳に記載された誕生日の有名人、ローマ字で素敵ですけど、飾りくらいにしか見えてなかったです

 

「記載されている有名人を描けばいいんだ!」と、お題とは全く異なるにも関わらず、勝手に思い込み、5月1日の手帳のページから始めました。

 

手帳に記載された人物を描くと決めたのに、スポーツ選手や芸能人が多く、全く似ていない絵を描いてしまったら、ご本人にもファンにも申し訳ないので、天に召されている人、または下手な絵でも許してくれそう…この人なら大丈夫!と勝手に思い込んだ人をリストアップして、作業的に描いていたと思います。

描き終わったものを眺めると、名前を書かなれば分からない、亡くなっている人の場合、名前を書いても誰だか分からない、とにかく伝わらないので、文章をつけたくなりました。

 

違和感や新鮮などの感情に閃きの粉をかける!思い込みが最強の方法

ちょうど同時期に、草間彌生展が国立新美術館で開催されていたので、草間彌生さんの著書『無限の網』を読んでいました。

 

 

読んだあと、展覧会に行ったのが3月22日でした。その日が、草間さんのお誕生日というのは、会場の入口で「草間先生のお誕生日を記念して来場者の皆さまにポストカードをプレゼントしております」という係りの人の案内で初めて知りました。

 

365日のきっかけ

当時使っていた手帳に展覧会でもらったポストカードをずっと挟んでました

 

誕生日の人を祝うのではなく、誕生日の人からプレゼントをもらうのが新鮮だったのと、著書のなかで印象に残ったサイコソマティックアートは、好きが軸になって描いていたり、創作するのではない世界が、自分にも共通しているように思いました。

 

草間さんが命名された「サイコソマティックアート」は、沢山作ることによって恐怖心を親近感に変え、嫌悪感を克服する自己治療の一貫です。

 

それで閃いたのが、365日続けて、誕生日の人様のお顔を描いてみようと思ったわけです。その時点で、自画像が半年続けられたのだから、最低でも1か月は続けられるのではないか?と思いました。

いざやり始めると、顔のイラストと文章だけでは何か抜けているような?紙の余白が気になり、そこを埋める要素が欲しいと思い始めました。

もらったポストカードとは異なる、モノではないプレゼントを何か付け加えられないだろうか?サイコソマティックアートのような、その人が実際に体験したことを第三者が真似してできるような何か?しばらく考え、私がプレゼントできるのは「問い」しかないとこれまた思い込みました。はじめたときはきっかけではなく、問い(お題)だったんです。

 

 

最初のきっかけは自分のため、後にシフトする

「何で問い?」そこに行きついた理由は、それより以前のことが影響しています。

働き方、生き方に迷った私は2012年に美大の通信教育でデザインを学び始めました。しかし入学してみると、他の教養科目の課題をこなすので精一杯、何かを得ているという実感があまりないまま流れ作業のような毎日、形式的で自分に合っていないと感じる、違和感を覚えました。

通信教育は格安なイメージがあるかもしれませんが、数百万なんて軽く飛んでいきます。どんどん減っていく通帳の残高を見る度に、このまま何も得られなかったら?不安とジレンマで押しつぶされそうになりました。

 

そんなジレンマが3年続いたとき、自分のための学びであれば、自分に合った問題を自分で作ればいいと、1日に10個の問いを考えるルーティンを決め、数か月で1000問くらいの問いを作って、そのなかでやってみたい問題を365日に絞り、ドリルを作ったことがありました。

365日のきっかけ

作ったドリル。量産するのも癖の一つです

 

今、見返すと忙しいときに何でこんなことやってたんだろう?変な問いばっかり、と思いますし、作った教材も確か2か月程度しか解かなかった…?あやふやです。

 

 

仕事のように取り組み、根拠のない可能性と自信を掲げなりきる

数年前にそんな経験をしたことを思い出し、自分が選んだ誕生日の人と、その人のエピソード、気になったキーワードから問いを作ることにしました。

また全く異なる分野の人を一つの記事に入れることで、組み合わさると見え方が変わって面白いと思いました。何が入っているのか分からないバラエティパック(記事)にタイトルのリボンをつけて、「はい、プレゼントです!」と記事を書き続けました。

 

数か月後、「問い」は結局のところ何だろうと考えると、それは何かに出会うきっかけでした。お題、着想を得た本、手帳に記載された誕生日の有名人、展覧会、もらったポストカード、などのアイテムすべてが「きっかけ」または、何かに出会う「引き金やしかけ」だったと振り返り、その時点で方向性が見えてきて、「絵が描けない人」というサイト名から「きっかけ作家」と名乗ることにしました。

自宅で黙々と制作している様子は、作家という言葉がピッタリで、小説家という意味はないです。

 

「365日のきっかけ」Webコンテンツを一年続けられたのは、「やると決めたから」という理由と、自分自身で仕事を作りたいという目的から始めたのであれば、「きっかけ作家」という仕事を自分で作ったのではないか?そう思い込んで、昼間とは別に夜な夜な、淡々と仕事のようになりきって、続けたというわけです。

通信教育をしていたこともあり、夜な夜な作業することに慣れていた、家事や介護に休みはなく毎日なので、これも仕事と一緒で、好き嫌い、モチベーションなどでどうこうということもなく、続けることが特別なことではなくなってきます。ただそれが加わるだけです。例えば、歯磨きを毎日している、それは習慣になっているからで、その習慣に顔を洗うを一つ追加するのも、絵を描くや文章を書く、創作するを追加するのも、私にとって変わりはなかったです。

 

そこに報酬が発生していたかというと、手にすることは出来ませんでした。人によってはそれは職業ではない、食えないものは仕事ではないと思うかもしれませんが、私は可能性を感じています。

 

2018年4月30日ぴったりには終わらず、1週間遅れでしたが、毎日2000文字以上、(当初は一人400文字程度を目安にしていたのに、日によって集中してしまうと全体で6000~8000文字書いていたときもあります)描いたイラストの総数は、689枚でした。

 

 

365日のきっかけ

横から見ると月によってバラつきがあることが分かります

 

365日の記事を書き終えて、始めた直後の4か月(5月~8月)の記事を読み返すと「何だこりゃ!」と笑ってしまう、または頭が痛くなるくらい下手くそでした。手直しレベルではない修正は確実、もう一度、書き直さないといけないか…2周目をするには体力的に厳しいと思いつつ、しばらくお休みしながら、修正することにしました。

 

上手に描きたい(書きたい)と意識せずに淡々と取り組んでいたのに、絵も文章も始めの頃よりも劇的に変化したのは、続けた結果であることは間違いないです。おそらく、上手とか、面白いとか考え始めると、見直したり、何度もやり直すことになり、時間がかかって続けることを断念していたかもしれません。スピード勝負で記事をアップしてしまい、出来は二の次くらいの適当さやこだわりの無さが合っていたように思います。

また新シリーズの構想も練っています。